松山義根
日本の政治家
松山 義根(まつやま よしね、1841年(天保12年5月[1]) - 1896年(明治29年)1月23日[1])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
編集愛知県出身[1]。1874年、愛知県養成学校(のち愛知第一師範学校、現・愛知教育大学)卒。養成学校教員、小区長、訓導、副区長兼学区取締となる[1]。西南戦争に臨時巡査として参加、少警部心得となった[1]。葉栗郡書記、同郡長、楽田村(現・犬山市)長を務めた[1]。
1890年の第1回衆議院議員総選挙において愛知4区から無所属で立候補したが落選[2]。翌1891年の補欠選挙で当選した。衆議院議員を1期務め、1892年の第2回衆議院議員総選挙では落選した[3]。1896年に死去した。
親族
編集- 弟 八代六郎(海軍大将)
出典
編集参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。