松尾信是
松尾 信是(まつお のぶこれ)は、戦国時代の武将。甲斐国武田氏の一族。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 元亀2年3月10日(1571年4月4日) |
改名 | 源十郎 |
戒名 | 月山宗盛居士 |
官位 | 民部少輔 |
主君 | 武田信玄 |
氏族 | 武田氏→松尾氏 |
父母 |
父:武田信虎、母:松尾信賢娘 養父:松尾信賢 |
兄弟 |
武田竹松、武田信玄、武田犬千代、 武田信繁、信基(信友?)、武田信廉、 武田信顕、一条信龍、武田宗智、信是、 河窪信実、武田信友、武田勝虎、定恵院、 南松院殿(穴山信友正室)、禰々、 花光院(浦野氏室)、 亀御料人(大井信為正室)、下条信氏正室、禰津神平(元直の長男)室、葛山氏室、 菊御料人(菊亭晴季室) |
子 |
河窪信俊室 養子:河窪信俊 |
略歴
編集甲斐の戦国大名・武田信虎の五男(七男とする説もある[1])、信玄の異母弟として生まれる。生母が信虎の叔父・松尾信賢の娘であった由縁により、無嗣であった信賢の養子となって同家を相続する[1]。山梨郡松尾郷(山梨県甲州市塩山小屋敷)に住し、秩父口方面を守備した。同母兄弟に宗智、下条信氏正室がいる[1]。
信玄の信任は厚かったらしく、信玄の出家前から史料で活動が確認されており[1]、永禄8年(1565年)の時点で、武田一族の中では信玄の嫡男・義信の次席に遇されていたが、元亀2年(1571年)3月10日に死去した[1]。家督・遺領は甥の河窪信俊(河窪信実の嫡子)が信是の遺女と結婚して相続した[1]。