松寺 竹雄(まつでら たけお、明治3年9月26日[1]1870年10月26日[要検証] - 1935年昭和10年〉2月5日[2])は、日本検事朝鮮総督府官僚正三位勲二等[3]

経歴

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加賀国出身。金沢藩士、戸水信義の二男として生まれ、1886年(明治19年)、松寺敦行の養子となり、1891年(明治24年)に家督相続[1]。 1893年(明治26年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業した[1]。司法官となり、京城地方法院検事正、平壌覆審法院検事長、大邱覆審法院検事長、朝鮮総督府法務局長を歴任し、1929年昭和4年)から朝鮮総督府高等法院検事長を務めた[1]。1932年(昭和7年)12月、退官。

1935年(昭和10年)2月5日、病気療養中に東京府東京市豊島区池袋の自宅で死去、64歳[4][5]。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈[3]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 人事興信録 1930, p. マ之部 松 七二.
  2. ^ 『朝鮮地方行政 3月号』132頁。
  3. ^ a b 故松寺氏に叙勲御沙汰」『京城日報』京城日報社、1935年2月16日、朝刊、2面。2024年3月28日閲覧。
  4. ^ 松寺竹雄氏」『朝鮮新聞』朝鮮新聞社、1935年2月7日、夕刊、1面。2024年3月28日閲覧。
  5. ^ 松寺竹雄氏 五日朝長逝す」『京城日報』京城日報社、1935年2月6日、朝刊、2面。2024年3月28日閲覧。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 『朝鮮地方行政 3月号』朝鮮地方行政學會、1935年。