松原九郎
松原 九郎(まつばら くろう、1865年6月3日(慶応元年5月10日[1][2]) - 1920年(大正9年)11月14日[3])は、明治から大正時代の政治家。実業家。衆議院議員。幼名は富次郎[2]。
経歴
編集美濃国池田郡、のちの岐阜県揖斐郡本郷村(温知村を経て現池田町)出身[1][2]。松原芳太郎の弟として生まれ、のち分家し1892年(明治25年)7月、旧名を今の名に改める[2]。1890年(明治23年)東京専門学校英語法律科卒業[3]。のち国民英学会に学んだ[3]。
農業を営み、岐阜県会議員、本郷村会議員、郡農会、岐阜県昆虫学会各名誉会員、大垣共立銀行、大垣貯蓄銀行[注 1]各取締役を歴任した[3]。
1902年(明治35年)8月の第7回衆議院議員総選挙では岐阜県郡部から出馬し当選[3]。その後、第9回総選挙まで連続当選し衆議院議員を通算3期務めた[3]。
親族
編集- 兄:松原芳太郎(衆議院議員、貴族院多額納税者議員)[4]
脚注
編集注釈
編集- ^ 大垣共立銀行の前身行のひとつ。
出典
編集- ^ a b 衆議院事務局 1902, 15頁.
- ^ a b c d 人事興信所 1915, ま28頁.
- ^ a b c d e f 衆議院、参議院 1962, 470頁.
- ^ 人事興信所 1915, ま27頁.
参考文献
編集- 『第十七回帝国議会 衆議院議員名簿』衆議院事務局〈衆議院公報第一号附録〉、1902年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。