松下重綱

安土桃山時代から江戸時代前期の武将・大名。遠江久野藩2代藩主、常陸小張藩主、下野烏山藩主、陸奥二本松藩初代藩主。右兵衛尉。松下之綱の次男

松下 重綱(まつした しげつな)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将大名遠江国久野藩2代藩主、常陸国小張藩主、下野国烏山藩主。のちに陸奥国二本松藩初代藩主。官位右兵衛尉

 
松下 重綱
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 天正7年(1579年
死没 寛永4年10月2日1627年11月9日
戒名 州伝院長厳長洋大居士
墓所 福島県田村郡三春町字新町の州伝寺
官位 右兵衛尉
幕府 江戸幕府
主君 豊臣秀吉秀次徳川家康加藤嘉明
遠江久野藩主→常陸小張藩主→下野烏山藩主→陸奥二本松藩
氏族 松下氏
父母 松下之綱松下連昌
兄弟 暁綱重綱方綱おりん松下長重室、中村正吉室、夏目吉信
正室加藤嘉明長女・星覚院
長綱佃和高
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生涯

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天正7年(1579年)、近江源氏西條氏庶流松下氏の当主で、かつて豊臣秀吉が少年だった頃、主君として仕えていた松下之綱の次男として誕生。秀吉に仕え、のち豊臣秀次に属した。天正16年(1588年)、右兵衛尉に任官された。慶長3年(1598年)に父が死去したため家督を継いで遠江久野藩1万6000石の領主となる。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与して本戦に参戦し、石田三成軍と戦うなど活躍したものの、慶長8年(1603年)、無断で城の石垣を築いた罪科により常陸小張(おばり)藩に移封させられた。小張には重綱が考案した小張松下流綱火(国の重要無形民俗文化財)を遺した。慶長19年(1614年)からの大坂の陣にて活躍した功績により、元和2年(1616年)に2万800石に加増された。元和9年(1623年)、下野烏山藩へ移封となった。

寛永4年(1627年)、舅にあたる加藤嘉明が会津40万石に加増移封されると、娘婿だった重綱も陸奥二本松藩5万石に加増移封され、嘉明の与力大名となった。同年10月2日に死去した。享年49。長男・長綱が跡を継いだ。

系譜

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