松下保綱
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松下 保綱(まつした やすつな、生没年不明)は江戸時代後期の武士。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 邦綱→保綱 |
別名 | 藤次郎、左大夫、孫右衛門 |
官位 | 従五位下・信濃守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治、徳川家斉 |
氏族 | 松下氏 |
父母 |
石河政武 養父:松下延綱 |
妻 | 松下延綱養女(松下状綱女) |
子 | 寿綱、与十郎、斧次郎、喜三郎、女、女 |
概要
編集安永2年(1773年)12月27日には松下氏の家督を継ぎ、同13年3月22日に徳川家治に仕えた。同年12月29日には御書院の番士に列し、寛政5年(1793年)7月10日には御徒の頭に転じ、同年12月16日には布衣の着用を許された。同6年6月29日には駿府の町奉行、同9年11月26日には京都の町奉行を務め、同年12月1日には従五位下・信濃守に叙任された[1]。