杵村源次郎
日本の政治家、漢詩人
経歴
編集人物像
編集杵村について、野坂寛治著『米子界隈』283頁によれば、「杵村町長は、学に凝って立派な分家の家産を傾け、漢詩に委(くわ)しく唐聖人が撫したアノ琴に堪能で、書に秀でていた。」という。
山陰歴史館には二張の七絃琴が所蔵されている[3]。一張は文人画家であった浦上玉堂による制作であり、またもう一張は米子在住の医師・国学者であった田代元春による制作である[3]。いずれもが杵村の旧蔵品である[3]。杵村は、漢詩結社を組織し、山陰の近代漢詩の興隆を支えた人物であり、自らは七絃琴の演奏を大阪の妻鹿友樵に教わっている[3]。