東追分信号場

日本の北海道勇払郡安平町にある北海道旅客鉄道の信号場

東追分信号場(ひがしおいわけしんごうじょう)は、北海道勇払郡安平町追分美園にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線信号場である。電報略号カケ[2][3]事務管理コードは▲132110[4]。旅客営業時代の駅番号K16

東追分信号場
信号場全景(2018年8月)
ひがしおいわけ
Higashi-Oiwake
追分 (4.0 km)
(5.4 km) 川端
地図
所在地 北海道勇払郡安平町追分美園
北緯42度54分8.13秒 東経141度49分55.8秒 / 北緯42.9022583度 東経141.832167度 / 42.9022583; 141.832167座標: 北緯42度54分8.13秒 東経141度49分55.8秒 / 北緯42.9022583度 東経141.832167度 / 42.9022583; 141.832167
駅番号K16
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 石勝線
キロ程 21.6 km(南千歳起点)
電報略号 カケ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線 (旅客扱い廃止時点)
開業年月日 1965年昭和40年)3月1日[1]
備考 駅として開業。2016年(平成28年)3月26日より信号場。
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歴史

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1976年の夕張線(当時)の東追分駅と周囲750m範囲。右上が夕張方面。右上側の踏切手前、夕張に向かって右側に、短い単式1面1線の石組み土盛のホームがある。待合室はホーム横の踏切側に置かれていた。後に石勝線への移行に先駆けて相対式2面2線となるに当たり、写真中央の位置へ移動した。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
 
東追分駅時代のホーム全景(2004年8月)

第二次世界大戦後、安平村本安平の北海道炭礦汽船が所有する山林の一部が、外地引揚者、復員軍人などによる緊急開拓事業による開拓予定地として買収され、秩父・光起などの集落が誕生した[5][6]。当初、住民は鉄道を利用するために川端駅・追分駅へ約10 - 15kmの距離を徒歩で移動するほかなかったため、当駅の設置が請願されることとなり[6]仮乗降場としての設置を経て旅客駅となった。しかしその後、半世紀超を経て利用客の減少により2016年(平成28年)3月26日に旅客扱いを廃止し信号場となった[JR北 1]

  • 1948年昭和23年):同年初頭に臨時乗降場設置について、地元住民より陳情書、安平村長から請願書が札幌鉄道局長に提出[6]。その後、時期不詳ながら夕張線(当時)追分駅 - 川端駅間に小安平仮乗降場(こあびら[7]かりじょうこうじょう)[注 1]が設置される。1日1往復停車[6]
    • 小安平には線路班(軌道の監視や補修を行う職場)が設置されていた[7]。道内の線路班の中には職員家族向けに旅客扱いを行っていたものが多くあり、ここもその一つであった[7]
  • 1952年(昭和27年)
    • 11月:追分村村議会に、「本安平駅」の設置陳情書が議員により提出され、可決[6]
    • 12月:追分村長・追分村議会議長連名により、「小安平仮停車場の昇格並びに停止列車の増加について」陳情書を提出[6]
  • 1965年(昭和40年)3月1日日本国有鉄道東追分駅(ひがしおいわけえき)として開業[6][1][8]旅客のみ取扱いの無人駅[9]
  • 1978年(昭和53年)4月:当駅にて東宝による映画「ブルークリスマス」のロケが勝野洋竹下景子を迎えて行われる。当駅は東北地方の田舎駅との設定で用いられた[10]
  • 1981年(昭和56年)
    • 6月1日:移転改キロ(追分寄りに300m移設)。
    • 6月19日:追分駅 - 川端駅間が票券閉塞式から単線自動閉塞式に変更され、同時に当駅に交換設備新設(当初より継電連動化)[11]
    • 7月1日:新駅舎使用開始[12]
    • 8月1日:夕張線(石勝線未開業部分を含)CTC化に伴い、追分駅の被管理下に置かれる[12][13]
    • 10月1日:石勝線開業に伴い同線の駅となる[14]
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]
  • 1994年平成6年)8月28日:石勝線・根室線高速化工事に伴い同日に分岐器を弾性分岐器に交換[15][16]
  • 2012年(平成24年)2月16日:20時50分頃、釧路貨物駅札幌貨物ターミナル駅行き貨物列車16両編成停止信号を冒進し、安全側線に進入、脱線する事故が発生。19日の午後から運転を再開[17][18]
  • 2016年(平成28年)3月26日:利用者減少とダイヤ改正に伴い、旅客扱いを廃止[JR北 1]東追分信号場となる[19]

信号場名の由来

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「追分」の東方にあるため[20]。なお請願時の仮称であった「本安平」はアイヌ語の「ポンアピラ(pon-apira)」(小さい〔=支流の〕・安平川)に由来する[21]

構造

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駅営業時(2012年10月)

南千歳方から新得方に向かって左手から下り本線、上り本線の2線を有する単線行き違い型信号場[22]。このほかそれぞれの進行方向に安全側線を設け、両方の分岐器スノーシェルターで覆っている[22]

旅客駅として営業していた頃のホームは各線に1面ずつ(相対式ホーム2面)設置されており、ホームの新得方に跨線橋を設けて連絡した[22]待合室は跨線橋の出入口に扉を設けて椅子が設置していた。

利用状況

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旅客営業時代の乗車人員の推移は以下のとおり。「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1985年(昭和60年) (5) [12] 利用人員10人(うち定期8人)[注 2]
1992年(平成04年) (3) [3] 乗降人員6人

周辺

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周辺は農村地帯で牧歌的風景が広がる。家屋は数軒しか見えない。

隣の施設

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
石勝線
追分駅 (K15) - (東追分信号場) - 川端駅 (K17)

脚注

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注釈

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  1. ^ 施設名称については文献により「仮停車場」などゆれがあるため、本項目中では便宜上一般的にこの種の乗降場を表す名称である「仮乗降場」と記載する。
  2. ^ 『追分町史』に基準年の記載がないため、発行前年度の値とみなして記載する。

出典

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  1. ^ a b c 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 24号 石勝線・千歳線・札沼線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年12月27日、14-15頁。 
  2. ^ “道央の新しい動脈 石勝線 プロフィールと撮影ガイド”. 鉄道ジャーナル 16 (1(通巻179)): 22-27. (1982-01-01). 
  3. ^ a b 宮脇俊三原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、95頁。ISBN 4-09-395401-1 
  4. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、227頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  5. ^ 追分町史編さん委員会 編『追分町史』追分町、1986年8月、227‐228頁。doi:10.11501/9571742https://doi.org/10.11501/95717422022年10月9日閲覧 
  6. ^ a b c d e f g 追分町史編さん委員会 編『追分町史』追分町、1986年8月、302, 1025‐1027頁。doi:10.11501/9571742https://doi.org/10.11501/95717422022年10月9日閲覧 
  7. ^ a b c 太田幸夫『北の保線 線路を守れ、氷点下40度のしばれに挑む』交通新聞社、2011年8月15日、63-65頁。ISBN 978-4-330-23211-9 
  8. ^ 「日本国有鉄道公示第101号」『官報』1965年2月26日。
  9. ^ 「通報 ●夕張線東追分駅の設置について(営業局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1965年2月26日、3面。
  10. ^ 映画」『北海道年鑑 昭和54年版』1979年1月、346頁、doi:10.11501/9490776 
  11. ^ 土師, 総一、倉本「昭和56年度国鉄・民鉄信号保安新設備の概要」『信号保安』第37巻第6号、信号保安協会、1982年6月、297-301頁、doi:10.11501/2369803ISSN 0286-3006 
  12. ^ a b c 追分町史編さん委員会 編『追分町史』追分町、1986年8月、1019‐1023頁。doi:10.11501/9571742https://doi.org/10.11501/95717422022年10月9日閲覧 
  13. ^ 追分町史編さん委員会 編『追分町史』追分町、1986年8月、1028‐1036頁。doi:10.11501/9571742https://doi.org/10.11501/95717422022年10月9日閲覧 
  14. ^ 追分町史編さん委員会 編『追分町史』追分町、1986年8月、1019‐1023頁。doi:10.11501/9571742https://doi.org/10.11501/95717422022年10月9日閲覧 
  15. ^ 藤島, 茂「JR北海道における130km/h高速化」『鉄道と電気技術』第8巻第4号、日本鉄道電気技術協会、1997年3月、68-71頁、doi:10.11501/3314045ISSN 0915-9231 
  16. ^ 藤野, 孝泰「バス代行による保守間合の確保(小特集『保守間合』 線路部門)」『日本鉄道施設協会誌』第32巻第12号、日本鉄道施設協会、1994年12月、24-26頁、doi:10.11501/3255389ISSN 0913-2643 
  17. ^ JR貨物列車脱線 東追分駅 赤信号止まれず”. 北海道新聞どうしんweb (2012年2月17日). 2012年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月23日閲覧。
  18. ^ 日本貨物鉄道株式会社 石勝線 東追分駅構内 列車脱線事故” (PDF). 鉄道事故調査報告書. 運輸安全委員会 (2013年2月22日). 2013年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月5日閲覧。
  19. ^ 「存廃に揺れる北辺の本線」『鉄道ジャーナル』No.610、2017年8月、56頁。 
  20. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、83頁。ASIN B000J9RBUY 
  21. ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、377頁。ISBN 978-4-88323-114-0 
  22. ^ a b c 渡辺節雄 (1981-12). “国鉄・石勝線の開業について”. 鉄道ピクトリアル (電気車研究会) 31 (12): pp.13-18. doi:10.11501/3294531. ISSN 0040-4047. 

JR北海道

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  1. ^ a b 平成28年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2015年12月18日http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2015/151218-3.pdf2015年12月18日閲覧 

関連項目

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