東園基光
東園 基光(ひがしぞの もとみつ、1875年(明治8年)3月4日[1] - 1934年(昭和9年)2月26日[1])は、明治から昭和初期の内務・警察官僚、政治家、華族。官選富山県知事、貴族院子爵議員。
経歴
編集東京府出身。侍従・宮中顧問官・子爵、東園基愛の長男として生まれる[2]。学習院高等学科を経て、1903年(明治36年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し大学院に進む。同年、文部省に入省し普通学務局属となる。1904年(明治37年)11月、文官高等試験行政科試験に合格した[2][3]。
1905年(明治38年)内務省に転じ内務属となる。以後、岡山県事務官、静岡県事務官・第二部長[4]、滋賀県事務官・警察部長、愛知県事務官・警察部長、茨城県内務部長、東京府内務部長などを歴任[2][5]。
1919年(大正8年)4月、富山県知事に就任。神通中学校・上市農学校の設立、氷見漁港の築港、県道指定、県営電気事業の実施などを推進した[2]。1921年(大正10年)12月24日、知事を依願免本官となり退官した[6]。
知事退官直後の1921年12月27日、濃飛電気株式会社の代表取締役社長に就任[7]。同社からは翌1922年(大正11年)7月に退くが[8]、7月20日付で今度は白山水力株式会社の代表取締役社長に選出された[9]。濃飛電気・白山水力ともに福澤桃介が関係する電力会社である。白山水力社長は以後1926年(大正15年)4月まで在任している[10]。この間の1925年(大正14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[11]、研究会に属し死去するまで在任[5]。その他、商工審議会委員、土木会議議員、学習院評議員会員などを務めた[5]。
系譜
編集脚注
編集- ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成 下巻』388-389頁。
- ^ a b c d 『新編日本の歴代知事』430頁。
- ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』185頁。
- ^ 『官報』第6925号、明治39年7月30日。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』52頁。
- ^ 『官報』第2821号、大正10年12月26日。
- ^ 「濃飛電気株式会社第2回事業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
- ^ 「濃飛電気株式会社第3回事業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
- ^ 「白山水力株式会社第7回報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
- ^ 「白山水力株式会社第15回事業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、33頁。
参考文献
編集- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
日本の爵位 | ||
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先代 東園基愛 |
子爵 東園家第2代 1920年 - 1934年 |
次代 東園基文 |