東京コカ・コーラボトリング
東京コカ・コーラボトリング株式会社(とうきょうコカ・コーラボトリング、英語表記 Tokyo Coca-Cola Bottling)は、かつて存在した東京都を販売拠点とする日本コカ・コーラのボトラー。略称はTCCB。コカ・コーライーストジャパン株式会社の完全子会社であった。創業者は高梨仁三郎で本社は東京都港区のイースト社内に同居していた。
種類 | 株式会社 |
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略称 | 東京コカ、TCCB |
本社所在地 |
日本 〒107-0052 東京都港区赤坂六丁目1番20号 国際新赤坂ビル西館 |
設立 |
1956年11月 (東京飲料株式会社) |
事業内容 | 清涼飲料水の製造、加工および販売等の事業 |
代表者 | 代表取締役社長 カリン・ドラガン |
資本金 | 1億円 |
売上高 | 単体1237億円(2013年12月期) |
純資産 | 単体295億円(2013年12月) |
総資産 | 単体540億円(2013年12月) |
主要株主 | コカ・コーライーストジャパン株式会社 100% |
関係する人物 | 高梨仁三郎(創業者) |
沿革
編集- 1956年(昭和31年)11月 - 高梨仁三郎が東京飲料株式会社(現・コカ・コーライーストジャパン株式会社)を設立する。
- 1957年(昭和32年)3月 - コカ・コーラ本社から芝浦工場(現・本社)の設備を継承し、コカ・コーラの製造販売を開始。
- 1958年(昭和33年)4月 - ファンタオレンジ、グレープ、クラブソーダ発売。
- 1962年(昭和37年)4月 - 東京コカ・コーラボトリング株式会社に社名変更。
- 1963年(昭和38年)5月 - 多摩工場竣工。1号びん詰ライン製造開始。
- 1964年(昭和39年)12月 - 他ボトラーよりの仕入れでコカ・コーラホームサイズ発売。
- 1965年(昭和40年)11月 - コカ・コーラ250ml缶発売。
- 1966年(昭和41年)2月 - 芝浦工場にホームサイズ専用ラインを設置し自社生産開始。
- 1967年(昭和42年)7月 - 稲城工場竣工。1号びん詰ライン製造開始。
- 1970年(昭和45年)4月 - 多摩工場隣接地に多摩第二工場竣工。翌月より4号びん詰ライン製造開始。
- 1971年(昭和46年)5月 - 多摩第一工場で缶詰ライン製造開始。
- 1973年(昭和48年)5月 - ドクターペッパー社とライセンス契約を締結し、利根・沖縄ボトラーと共にドクターペッパーの製造販売を開始。日本コカ・コーラはこの動きに不満を示し、類似商品のミスター・ピブを全国のボトラーに導入させるが売り上げが芳しくなり失敗に終わる。その後二十数年を経てドクターペッパーは日本コカ・コーラの一ブランドとなった。
- 1974年(昭和49年)6月 - 本社新社屋竣工。
- 1974年(昭和49年)10月 - 芝浦工場にてプレミックス、ポストミックス製造開始。
- 1976年(昭和51年)9月 - ペプシ300に対抗して、リターナブルびんのコカ・コーラ300mlびん発売。
- 1977年(昭和52年)3月 - 稲城工場9号ラインでコカ・コーラ1リットルサイズ製造開始。同月発売。
- 1979年(昭和54年)2月 - 他ボトラーと歩調をあわせ、自社ブランドのトレッカコーヒーの販売を中止しジョージアコーヒー発売。
- 1982年(昭和57年)2月 - 稲城工場10号ラインでコカ・コーラ1.5リットルサイズ製造開始。翌月発売。
- 1982年(昭和57年)3月 - 多摩工場1号ラインでジョージアコーヒーの受託生産を開始。
- 1983年(昭和58年)10月 - 稲城工場でコカ・コーラ1.5リットルPETボトル製造開始。翌月発売。
- 1984年(昭和59年)1月 - 芝浦工場閉鎖。
- 1986年(昭和61年)5月 - 稲城工場で無炭酸飲料(アクエリアス、HI-Cサンフィル等)1.5リットルPETボトル製造開始。
- 1991年(平成3年)6月 - 東京カナダドライをカルピス食品工業へ譲渡。
- 1991年(平成3年)6月 - 多摩工場で各種缶製品の製造が可能な新5号ラインが稼働開始。
- 1991年(平成3年)12月 - 社名を株式会社丸仁に変更するとともに、清涼飲料水の製造・販売部門を分離専業化、新しい東京コカ・コーラボトリング株式会社として再発足。
- 1998年(平成10年)8月 - 稲城工場にPETボトル無菌充填ラインを導入。
- 2001年(平成13年)10月 - 関東3ボトラー(東京・三国・利根)による共同製造会社コカ・コーライーストジャパンプロダクツを設立。
- 2002年(平成14年)4月 - 販売機器サービス部門を別社化して機材サービス新会社マシン・メンテナンス・ネットワーク株式会社を設立。
- 2003年(平成15年) - コカ・コーラナショナルビバレッジ社事業開始。
- 2005年(平成17年)3月 - 稲城工場閉鎖。
- 2007年(平成19年)6月 - 第三者割当増資を実施、日本コカ・コーラがこれを引き受け総株数の34%を出資。
- 2009年(平成21年)5月 - 丸仁ホールディングスとの資本関係を解消。それに伴い、不動産事業を開始。
- 2013年(平成25年)7月1日 - コカ・コーライーストジャパン株式会社を持株会社として、当社とコカ・コーラ セントラル ジャパン、三国コカ・コーラボトリング、利根コカ・コーラボトリングの4社が株式交換と会社分割により経営統合[1][2]。当社はコカ・コーライーストジャパン株式会社の完全子会社となる。
- 2015年(平成27年)1月1日 - 持株会社であったコカ・コーライーストジャパンが、コカ・コーラ セントラル ジャパン(2代目)、三国コカ・コーラボトリング、東京コカ・コーラボトリング、利根コカ・コーラボトリングの4社を吸収合併し、事業会社化。当社は消滅した[3]。
工場
編集- 1963年開設。後に隣接地に第二工場を建設し、缶製品の製造を第一工場、びん製品の製造を第二工場へ集約した。
→詳細は「コカ・コーライーストジャパンプロダクツ」を参照
- 芝浦工場(廃止) - 東京都港区
- 元々軍用品のびん入りコカ・コーラを製造していたが、東京飲料が工場・従業員ともに引き継いだ。
- 新本社竣工の1974年からシロップ工場に転換されたが1984年に生産終了。
- 稲城工場(I→TIN)(2005年廃止) - 東京都稲城市
- 当時の世界最高水準を誇るびん製品ラインを備え1967年開設。後に大型びんやPETボトルの生産を開始。
- 1998年に無菌充填PETボトルラインが導入され、主に茶製品の大型PETボトル製品を生産。2005年閉鎖。
※工場名の後ろの英数字は製造所固有記号
関連企業
編集東京コカ・コーラグループ
編集- アーバン ベンディックス ネットワーク株式会社
- フレッシュ・ベンダー・サービス株式会社
- 株式会社ウエックス東京
- マシン・メンテナンス・ネットワーク株式会社
脚注
編集関連項目
編集- 日本コカ・コーラ
- コカ・コーライーストジャパン
- 東京ヴェルディ1969 - オフィシャルスポンサーであり、クラブ支援自動販売機を設置している。
- 沖縄コカ・コーラボトリング - かつての親会社、丸仁ホールディングスが現在も子会社としているボトラー。
- ベンダー