東クルディスタン

イラン北西部のクルド人居住地域の非公式名称

東クルディスタン又はイラン領クルディスタン (中央クルド語:Rojhilatê Kurdistanê、ペルシア語:بخش‌های کردنشین ایران)は、イラン北西部のクルド人居住地域の非公式名称である。西にイラク、北にトルコと接する。コルデスターン州ケルマンシャー州の全域に加え、北ホラーサーン州西アーザルバーイジャーン州イーラーム州[1][2][3]の一部を含む。西アーザルバーイジャーン州におけるクルド人の割合は21.7%で、オシュナビーエ郡英語版サルダシュト郡英語版ピーランシャフル郡英語版ブーカーン郡英語版マハーバード郡英語版に集中している[4]2006年の統計ではこの5州に約673万人のクルド人が存在した[5]

クルド人は東クルディスタンをクルディスタン4大地域の1つと考えている。残りはトルコ南東部の北クルディスタンシリア北部の西クルディスタン(ロジャヴァ)、イラク北部の南クルディスタンである[6]

4~500万人がイスラム教スンニ派に属し、[7][8][9][10][11][12]。残りはフェイリと呼ばれるシーア派である。

歴史

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サーサーン朝時代

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パパクの息子、アルダシールの代償の本英語版によると、サーサーン朝初代皇帝のアルダシール1世とクルド王のマディグ英語版の間で戦争が有った[13]

380年アルダシール2世はクルド人の半独立王国のカユス王朝英語版の最後の支配者を打ち負かした[14]

中世クルド人王国時代

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959年、クルド系のハッサンワイヒド王国英語版が建国された。

990年、クルド系のアンナジド王国英語版が建国された。

1015年、ハッサンワイヒド王国が56年で滅亡した。

1117年、アンナジド王国が127年で滅亡した。

1169年アルダラン藩王国英語版が建国された。

セルジューク朝とホラズム・シャー朝時代

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12世紀セルジューク朝アフマド・サンジャルが、バハル英語版を中心としてクルディスタン州を設置した。この州にはケルマンシャーハマダーンが含まれ、サンジャルの甥のスレイマンが治めた。

1217年ザグロス山脈のクルド人が、ハマダーンから派遣されたホラズム・シャー朝アラーウッディーン・ムハンマドの軍を破った。

サファヴィー朝時代

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サファヴィー朝は東クルディスタンに侵攻し、マハーバードやアルダラン等を中心に複数の首長国に分裂していたクルド人を破った。

1534年1535年、タフマースブ1世は計画的に古いクルド人居住地域を破壊した。多くのクルド人がアルボルズ山脈大ホラーサーンイラン高原に移住を強いられた。

1609年11月~1610年夏、イラン北西部のオルーミーイェ湖周辺のベラドスト地域のディムディム要塞で、エミール・ハーン・レプゼリン(黄金の手のハーン)率いるクルド人がサファヴィー朝と戦った。ハーンはオスマン帝国とサファヴィー朝の両国から独立を保つ道を模索しており、ディムディム要塞にサファヴィー朝の北西を脅かす事を期待した。クルド人は敗れ、アッバース1世によって悉く虐殺された。無人となった土地にはトルコ系のアフシャル人英語版を移住させた。約170万人のクルド人がイラン北東のホラーサーンに移住させられた[15][16]

18世紀、クルド人はサファヴィー朝のアフガニスタン侵略に貢献し、ハマダーンを征服し、エスファハーン周辺に勢力を伸ばした。

1747年ナーディル・シャーはクルド人の反乱を鎮圧しようとしたが、完了する前に暗殺された。死後、クルド人は力の空白に乗じてファールス州の一部を征服した[17]

ガージャール朝時代

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1867年ガージャール朝ナーセロッディーン・シャーがアルダラン藩王国を廃止した。

1880年、クルド人指導者のShaykh Ubaydullahは、政府に対して一連の反乱を指揮したが、鎮圧された。

第一次世界大戦の混乱に乗じてIsmail Agha Simkoは反乱を指揮したが、レザー・パフラヴィーに鎮圧された[18]

 
シムコ・シカク

1918年1922年、シカク族のシムコ・シカク英語版がオルーミーイェ湖西岸を支配した。しかし、レザー・パフラヴィーに鎮圧され、シムコを逃亡した。

1925年マリーバーン英語版からハラブジャ北部を支配したハウラマン英語版のスルタン・ジャーファルが倒された。

パフラヴィー朝時代

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1930年、シムコはオシュナビーエ英語版周辺でパフラヴィー朝に殺害された。この後、レザー・パフラヴィーはクルド人に厳しい政策を取るようになり、何百人ものクルド人首長が難民にされ、土地は接収された[19]

1941年9月、第二次世界大戦が始まると、連合軍は中立国のパフラヴィー朝を侵略し、国軍は直ちに撃破された。テヘランに監禁されていたクルド人首長の息子達は脱出する機会を得た。バーネ出身のHama Rashidは、西部のサルダシュトやバーネ、マリーバーンを征服した。

1944年、Hamaは国軍に追放された[20]

1945年8月、イラン・クルディスタン民主党英語版が結成された。

1946年1月、ソ連の傀儡政権として、西アーザルバーイジャーン州西部にマハーバード共和国が建国された。首都はマハーバードで、他にはブーカーンやピーランシャフル、オシュナビーエを支配した[21]。12月、ソ連撤退に伴うパフラヴィー朝の侵略によって、マハーバード共和国は11ヶ月で滅亡した。

 
カーズィー・ムハンマド

1947年3月、カーズィー・ムハンマド英語版元大統領は絞首刑で殺害された。

イラン・イスラム共和国時代

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1979年2月、イラン革命によってパフラヴィー朝は滅亡し、ルーホッラー・ホメイニーを中心にイラン・イスラム共和国が建国された。クルド人政党はホメイニに協力し、シャーを追放した。しかし、新政府は国境を越えて存在するクルド人を新国家の脅威になると考え、自治権を与えなかった。同時にスンニ派に対するシーア派の優越を憲法に定めた。クルド人代表のアブドゥル・ラフマン・ガッセムロウ英語版は、新憲法を創る専門家会議に参加を拒否され、[22]クルド人の意見を憲法に反映させられなくなった。そして、イラン・クルディスタン民主党(KDPI)とイラン・クルディスタン・コマラ党英語版を中心に、武装したクルド人と革命軍が衝突した[23]。ホメイニは東クルディスタンの独立を認めず、ジハードを宣言した[24]

1980年春、アボルハサン・バニーサドル大統領は政府軍に命じ、マハーバードやサナンダジュバーベ英語版、マリーバーン等、殆どのクルド人都市を奪った[25]サデグ・ハルハリ英語版最高裁判所長官は、何千人ものクルド人男性を処刑した。イスラム革命防衛隊はクルディスタンを政府の管理下の置こうと戦い、1万人以上のクルド人を殺害した。

1990年代になると、度重なる政府からの弾圧に反発してクルド民族主義英語版が盛んになる。

1996年12月2日、スンニ派の主要聖職者のMulla Mohammed Rabieiの死を受けて、スンニ派クルド人と政府軍が衝突した。衝突は3日間続き、周辺地域に広がった[26]

1997年5月、モハンマド・ハータミーが大統領に就任し、クルドの文化と歴史を称賛したが、クルド人の要求は主にクルド語に有った。大統領は第一期でアブドラ・ラメザンザデー英語版を初代東クルディスタン知事に指名した。第二期で、大統領は2人のシーア派クルド人を入閣させた、国政におけるクルド人の存在感は拡大した。

 
アブドゥッラー・オジャラン

1999年2月、クルド民族主義者はマハーバードやサナンダジュ、オルーミーイェで大規模デモを起こし、政府への反対とアブドゥッラー・オジャランの支持を訴えた。アブドゥッラーはトルコのクルディスタン労働者党(PKK)の元党首で、トルコ政府から終身刑を受けた[27][28]。イラン政府はこのデモを武力鎮圧、人権団体によると少なくとも20人が殺害された。

2003年7月、18人の法学者が「首都テヘランには約100万人のスンニ派(殆どがクルド人)が暮らすが、スンニ派モスクが1つも無い事」と、「スンニ派モスクに建設許可が下りない事」を非難した[29][30]

2005年7月9日、マハーバードでクルド人野党活動家のシヴァン・カデリ英語版[31]と2人のクルド人男性がイラン軍に射殺された。続く6週間で複数のクルド人都市やイラン南西部、東部のスィースターン・バルーチェスターン州で暴動や抗議が起きた[32]

2006年3月13日、カデリの担当でもあった著名な人権派弁護士のサレー・ニクバクト英語版が、警察官がカデリを違法に殺害したと発表した。先立って政府はカデリの「道徳と金融への違反」を訴えていたが、サレーは全ての疑惑を否定した。

2008年国際人権救援機構はイランのクルド人が「社会的、政治的、文化的、経済的に差別され、抑圧されている」と発表した[33]。その結果在イランの多くの人権活動家がイラン政府のクルド人への暴力に注目するようになったが、機構は「その事が更なる暴力を呼び得る」とも述べた[33]21世紀初頭には多くのクルド人活動家や作家、教師が不当に逮捕され、死刑に処されている[34]クルディスタン自由生活党英語版のように武力闘争に及ぶクルド人もいる。

2009年2月4日アメリカ合衆国財務省のStuart A. Levey次官は、自由生活党を「トルコのクルディスタン労働者党と繋がりが有る」としてテロ組織に指定した[35]。11月、政府は国際社会からの助命嘆願を無視して、無実のクルド人活動家のエフサン・ファタヒアン英語版に死刑を執行した[36][37]

2010年1月、政府はクルド人のFasih Yasamaniを拷問し、不当に処刑した[38]5月9日、政府は同様にAli Heydarian、Farhad Vakili、Mehdi Eslamian、Shirin Alam Hooli、ファルザド・カマンガル英語版を政治犯として不当に処刑した。彼らは拷問によって自由生活党への所属を自白させられ、裁判を受ける事も弁護士と話す事も出来なかった。機構はこれらの処刑を「少数派のクルド人に対する明白な威嚇」と述べた[39]。自由生活党も被害者達との繋がりを否定している[40]。政府は遺体の家族への返還すら拒んだ[41]。5月時点で、死刑判決を受けたクルド人は後16人残っており、そのうち公正な裁判を受けたと考えられる者はひとりもいない。

脚注

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  1. ^ Federal Research Division, 2004, Iran: A Country Study, Kessinger Publishing, ISBN 1-4191-2670-9, 978-1-4191-2670-3, p. 121, "The Kurdish area of Iran includes most of West Azerbaijan."
  2. ^ Youssef Courbage, Emmanuel Todd, 2011, A Convergence of Civilizations: The Transformation of Muslim Societies Around the World, p. 74. Columbia University Press, ISBN 0-231-15002-4, 978-0-231-15002-6. "Kurds are also a majority of the population in the provinces of Kermanshah, West Azerbaijan, and Ilam."
  3. ^ William Eagleton, 1988, An Introduction to Kurdish Rugs and Other Weavings, University of California, Scorpion, 144 pages. ISBN 0-905906-50-0, 978-0-905906-50-8. "Iranian Kurdistan is relatively narrow where it touches the Soviet border in the north and is hemmed in on the east by the Azerbaijani Turks. Extending south along the border west of Lake Urmia is the tribal territory."
  4. ^ General Culture Council of Islamic Republic of Iran for West Azerbaijan province: فهرست نویسی پیش از انتشار کتابخانه ملی جمهوری اسلامی ایران * شماره کتابشناسه ملّی:۲۸۹۰۶۹۰ *عنوان و نام پدیدآورنده:طرح بررسی و سنجش شاخص های فرهنگ عمومی کشور(شاخص های غیرثبتی){گزارش}:گزارش های پیشرفت طرح ها وکلان شهرها/به سفارش شورای فرهنگ عمومی کشور؛مدیر طرح و مسئول سیاست گذاری:منصور واعظی؛اجرا:شرکت پژوهشگران خبره پارس *بهاء:۱۰۰۰۰۰ ریال-شابک:۷-۶۸-۶۶۲۷-۶۰۰-۹۷۸ *وضعیت نشر:تهران-موسسه انتشارات کتاب نشر ۱۳۹۱ *وضعیت ظاهری:۲۹۵ ص:جدول(بخش رنگی)،نمودار(بخش رنگی)*یادداشت:عنوان دیگر:طرح و بررسی و سنجش شاخص های فرهنگ عمومی کشور(شاخص های غیرثبتی) سال ۱۳۸۹ *توصیفگر:شاخص های غیرثبتی+شاخص های فرهنگی+گزارش های پیشرفت طرح ها و کلان شهرها *توصیفگر:ایران ۳۸۶۲۸۹ *تهران۱۹۹۰۶۶ /مشهد۲۹۲۳۴۱ /اصفهان ۱۷۰۰۱۷/تبریز۱۸۴۸۱/کرج ۲۷۸۲۵۲/شیراز۲۵۱۷۰۳/اهواز۱۷۶۴۰۳/قم۲۷۰۸۷۷ *شناسنامه افزوده:واعظی،منصور،۱۳۳۳-۷۳۵۰۶۸ *شناسنامه افزوده:شرکت پژوهشگران خبره پارس /شورای فرهنگ عمومی *مرکز پخش:خیابان ولیعصر،زرتشت غربی،خیابان کامبیز،بخش طباطبایی رفیعی،پلاک۱۸،تلفن:۷-۸۸۹۷۸۴۱۵ *لیتوگرافی،چاپ وصحافی:سازمان چاپ و انتشارات اوقاف , (German)Titel: Der Plan um Untersuchungen und Auswertungen der Indikatoren der generellen Kultur des Landes, ISBN 978-600-6627-68-7, Jahr der Veröffentlichung: 2012, Verlag: Ketabe Nashr |language=Persian
  5. ^ Archived copy”. 2016年10月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月7日閲覧。
  6. ^ Kurdish Awakening: Nation Building in a Fragmented Homeland, (2014), by Ofra Bengio, University of Texas Press
  7. ^ http://themedialine.org/news/news_mideast_daily.asp?Date=07/30/2008&category_id=8 Archived 2015-02-05 at the Wayback Machine.
  8. ^ Archived copy”. 2015年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月5日閲覧。
  9. ^ Archived copy”. 2015年10月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月5日閲覧。
  10. ^ Archived copy”. 2015年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月5日閲覧。
  11. ^ Archived copy”. 2015年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月5日閲覧。
  12. ^ Archived copy”. 2010年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月9日閲覧。
  13. ^ Archived copy”. 2006年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年2月15日閲覧。 Karnamak Ardashir Papagan,Chapter 5.
  14. ^ KEO - CULTURE - National Characters, Kurdish calendar Archived 2008-02-22 at the Wayback Machine.
  15. ^ Izady, Mehrdad R., The Kurds: A Concise Handbook, Taylor & Francis, Washington, D.C., 1992
  16. ^ For a map of these areas see Archived 2016-02-03 at the Wayback Machine.
  17. ^ D. McDowall, A Modern History of the Kurds, I.B. Tauris Publishers, ISBN 978-1-85043-416-0, p. 67
  18. ^ Gunter, Michael M. (November 4, 2010). Historical Dictionary of the Kurds. Scarecrow Press. pp. 274–276. ISBN 978-0-8108-7507-4 
  19. ^ Elphinston, W. G. (1946). “The Kurdish Question”. Journal of International Affairs (Royal Institute of International Affairs) 22 (1): 91–103 [p. 97]. JSTOR 3017874. 
  20. ^ Elphinston (1946, pp. 97–98)
  21. ^ https://web.archive.org/web/20071010090831/http://www.kurdishrightsconference.org/presentations/gunter.pdf
  22. ^ Ali Reza Nourizadeh (Persian - Arabic - English) Archived 2012-03-04 at the Wayback Machine.
  23. ^ D. and in khorasan [Cultural & Civil society of Khorasani Kurds, www.cskk.org]. McDowall,A Modern History of the Kurds, 1996, Chapter 13, "Subjects of the Shi'i Republic," pp. 261-287.
  24. ^ Archived copy”. 2007年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月23日閲覧。
  25. ^ rev6 Archived 2010-11-06 at the Wayback Machine.
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  27. ^ Natali, D., Manufacturing Identity and Managing Kurds in Iraq, Turkey and Iran: A Study in Evolution of Nationalism, PhD Dissertation in Political Science, University of Pennsylvania, 2000, p.238
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  29. ^ IRAN Archived 2013-03-13 at the Wayback Machine.
  30. ^ Microsoft Word - egypt.doc Archived 2009-01-08 at the Wayback Machine.
  31. ^ PJAK Archived 2011-05-26 at the Wayback Machine.
  32. ^ Iran Focus-Iran sends in troops to crush border unrest - Iran (General) - News Archived 2008-03-12 at the Wayback Machine.
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  41. ^ Iran Denies Families Bodies of Executed Kurds - NYTimes.com Archived 2010-05-16 at the Wayback Machine.

外部リンク

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