杜子春 (学者)
後漢の学者
略歴
編集『漢書』『後漢書』は杜子春について何も伝えていない。賈公彦『周礼注疏』序周礼廃興に引く馬融の「伝」に略歴を載せる。それによれば、杜子春は河南郡緱氏県(現在の河南省洛陽市偃師区)の人で、劉歆に『周礼』を学んだ。後漢のはじめに劉歆の弟子はほとんどが死にたえたが、杜子春は明帝の永平年間(58年-75年)のはじめにまだ生きており、年齢は90歳ちかくだった。古文学者の鄭衆や賈逵はいずれも杜子春に『周礼』を学んだ[1]。
『経典釈文』の説明もほぼ同じであるが、賈逵ではなく鄭興・鄭衆親子が杜子春に『周礼』を学んだとしている。
杜子春の著作は残っていないが、『周礼』の鄭玄注のなかに鄭興・鄭衆に並んで杜子春の説が数多く引用されている。馬国翰『玉函山房輯佚書』に杜子春の説が集められている[2]。