村松文代
村松 文代(むらまつ ふみよ、1959年2月15日[1] - )は、IBC岩手放送に所属するアナウンサー兼ニュースデスク(同社報道部専任部長兼報道デスク)[要出典]。
むらまつ ふみよ 村松 文代 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 長野県飯田市 |
生年月日 | 1959年2月15日 |
血液型 | O型 |
最終学歴 | 早稲田大学商学部 |
勤務局 | IBC岩手放送 |
部署 | 報道部専任部長兼報道デスク[要出典] |
活動期間 | 1981年4月 - |
ジャンル | ラジオパーソナリティ |
公式サイト | 公式ブログ |
担当番組・活動 | |
出演中 |
『朝からRADIO』 『村松文代のフォア〜♪』 |
出演経歴 |
『ニュースエコー』 『ワイドステーション』 『リクエストマンデー』 |
来歴
編集長野県飯田市出身[1]。早稲田大学商学部[2]を卒業後[1]、1981年[3]にIBCに入社。
入社した年に『飛び出せ!全国DJ諸君』でグランプリを受賞。その後、『ニュースエコー』のキャスターを務めたことなどで、岩手県内で有名な存在となる[独自研究?][要出典]。テレビのほか、ラジオでもインタビュー番組『風のグラフィティ』(中三一社提供番組)のパーソナリティを務め、毎週1人ずつ100人以上の人物の聞き手となった。
若手の頃、岩手競馬が企画した女性騎手招待レースレディスカップのために、岩手県で初となる女性競馬実況アナウンサーを務めたことがある。
2005年には『裁判員制度全国フォーラム』のパネリストを務めた[4]。このほか、県内各地で行われるイベントや集会の司会・進行役も務めている。
1988年に、1998年の冬季オリンピックの国内立候補地が長野市、盛岡市、旭川市、山形市の決選の末、長野市に決まったということがあったが、当時既に盛岡暮らしが7年過ぎと長くなっていたため、自分の出身地でありながら「長野に取られた」というような思いであったというが、長野出身ということで周りから少々睨まれたこともあったという[5]。
担当番組
編集テレビ番組
編集- ニュースエコー(1986年 - 1999年3月、2004年4月 - 2009年3月)
- 岩手日報IBCニュース
ラジオ番組
編集出典
編集- ^ a b c d “村松 文代”. IBC岩手放送. 1998年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月13日閲覧。
- ^ “profile”. 2022年6月1日閲覧。
- ^ NHKウィークリーステラ1998年6月12日号 全国アナウンサー/キャスター名鑑
- ^ “裁判員制度全国フォーラム”. 全国地方新聞社連合会(提供:岩手日報社) (2005年12月18日). 2007年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月13日閲覧。
- ^ 参考:『月刊ラジオパラダイス』1990年4月号『美人アナウンサー HOT SHOT!』コーナー内の記事
- ^ a b “村松 文代”. IBC岩手放送. 2000年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月13日閲覧。
外部リンク
編集- 村松文代アナウンサーの日記 - IBC岩手放送