村上司
村上 司(むらかみ まもる、1936年2月13日 - 2005年6月5日)は、株式会社日音元代表取締役会長。
むらかみ まもる 村上 司 | |
---|---|
生誕 |
1936年2月13日 関東州大連市 |
死没 |
2005年6月5日(69歳没) 東京 |
国籍 | 日本 |
肩書き | 日音元代表取締役会長 |
来歴
編集中国(当時は日本租借地の関東州)大連市生まれ[1]。大学卒業後、薬剤師であった父親の紹介で日本レダリーで勤務。1963年10月に日音(当時は日本音楽出版)に入社する[1]。
入社の翌年(1964年)の9月-12月に、ニューヨークのリーズ・ミュージック(現・MCAミュージック)へ研修に行く[1]。その研修で音楽出版社の在り方。即ち、楽譜の出版はごくわずかで、権利ビジネスの出版社としてオリジナル作品を開発・契約して、管理プロモートしなければいけないということを学ぶ[1]。帰国後は多くの楽曲の開発とプロモートを展開。日本の音楽出版ビジネスの先駆者となる。
また会社経営以外に業界の発展にも取り組み、1977年10月に日本音楽著作権協会(JASRAC)の評議員に就任。1980年には理事に就任する[2]。1998年9月に評議員と理事を退任するまで、「分配委員会」の委員を2期に亘って務めた他、「編曲問題懇話会」座長(1996年2月-97年2月)や「文化事業委員会」委員(1997年8月-98年8月)を担当する[2]。さらに日本音楽出版社協会(MPA)においても、1977年5月に理事に就任して以来、常務理事や副理事長も務める。また私的録音補償金管理協会(sarah)でも、1993年3月から5年間に亘って理事を務める[2]。
1998年6月にJASRACより「功労者表彰」を受賞。1999年には政府より「著作権法100年記念特別功労者文部大臣賞」を受賞する[2]。また2003年12月にはMPAから「創立30周年記念功労者」として表彰される[2]。
関連項目・人物・楽曲
編集- 渡邊美佐
- 野崎俊夫
- 石坂敬一
- 田邊昭知
- 恒川光昭
- 筒美京平
- なかにし礼
- 酒井政利
- 井上弘
- ブルー・ライト・ヨコハマ
- また逢う日まで
- セクシー・バス・ストップ(浅野ゆう子版)
- ハッスル・ジェット(浅野ゆう子版)
- 哀愁のオリエント急行(つちやかおり版)