李玉善

大韓民国の人権活動家、元慰安婦 (1927-)

李 玉善イ・オクソン이옥선)は、韓国ナヌムの家で生活する韓国人女性活動家[注釈 1]

人物

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1927年、釜山広域市生まれ。2000年に中国政府から韓国に引き渡され、従軍慰安婦問題の被害者として日本に謝罪を求める政治運動に参加している。朝鮮日報の報道では、米国ニュージャージー州バーゲン郡の郡長と面会し、同群の慰安婦の碑建立に尽力した、としている[1]。元朝日新聞出版局写真記者によるサポートを受け、海外でも活動している[2][3]

2014年6月16日、ナヌムの家で共同生活する元従軍慰安婦らと共に、朴裕河が2013年8月に出版した『帝国の慰安婦』の出版を差し止め、名誉棄損による損害賠償を訴えた。イは「血が沸いて肉が震えて言葉もない」と訴えた[4]

証言

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1942年15歳のときに、延吉で「買い物に行く途中で2名の男に捕まり、トラックの荷台に押し込まれた。」と証言している[5]。ただし、拉致された男性については、「朝鮮男 2人[6]」により連れ去られたと語っていたが、「日本人と朝鮮人の男[5]」に捕まったと証言を変えている。慰安婦としては1日に40-50人の男性を相手にしていたと証言している[7]

2019年10月に市民団体に招かれて来日、14歳のときに朝鮮半島東南部の蔚山で2人組の男にトラックに押し込められ、中国の慰安所へ連れて行かれ、「1日で40-50人の相手をさせられ、耐えられずに自ら命を絶つ人もいた。拒否すれば軍人に刀で刺し殺された。慰安所は実際には死刑場のような所だった」と証言した[8]

脚注

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注釈

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  1. ^ なお、ナヌムの家にはハングルでは同姓同名となる、イ・オクソン(李玉仙、1930年生まれ、大邱広域市出身)も暮らしており、李玉仙と漢字表記されることがある。

出典

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  1. ^ 朝鮮日報日本語版 2013.7.17 慰安婦:「慰安所はと殺場のようだった」
  2. ^ 「日本の人」の音聞いても気を悪くしない日本人 2013.09.04 [1]
  3. ^ ドイツ シュピーゲル紙 2013年9月3日 Zwangsprostitution im Zweiten Weltkrieg:Japans Schande[2] "Tsukasa Yajima hat alles auf seinem Laptop, Schwarz auf Weiß, die Fotos der Überlebenden. Es ist 8 Uhr morgens, er sitzt in einem Bus nach Frankfurt..."
  4. ^ 元従軍慰安婦ら、「帝国の慰安婦」の著者パク・ユハ教授と出版社を告訴 サーチナ 2014年6月18日
  5. ^ a b 害者の証言からみた慰安所連行状況
  6. ^ 李玉善(イ・オクソン)の証言
  7. ^ 2016/01/26 17:16 統合ニュース 위안소라니 사형장이었다" 日시민들 숙연케한 피해할머니 증언 "하루에 40∼50명을 어떻게 접대하겠는가. 차라리 죽고 말지. 위안소는 무슨 위안소냐. 사람 죽이는 사형장이지." [3]
  8. ^ “少女像巡る首長発言に抗議 元慰安婦、川崎で証言”. 神奈川新聞. (2019年10月6日). https://www.kanaloco.jp/article/entry-200064.html 

関連項目

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