李 東煥(イ・ドンファン、1916年5月19日 - 1991年11月11日)は、大韓民国官僚外交官内務省次官や、駐日本首席代表、駐オーストラリア大使などを務めた。日本名は森山 辰雄[1]

生涯

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日本統治時代の朝鮮咸鏡南道端川郡出身。元山公立商業学校を経て、1940年京城高等商業学校卒業。高等文官試験行政科に受かり、1942年に東京商科大学(現一橋大学)卒業後は、朝鮮総督府に入庁した。金東祚は高等商業学校時代の同期。朝鮮総督府江原道属、朝鮮総督府逓信事務官を経て、日本の降伏を迎えた[1]

大韓民国逓信部郵務局長等を経て、1960年内務省次官。1961年には大平正芳内閣官房長官や、小坂善太郎外務大臣の同窓であることなどから、大使館設置前の駐日韓国代表部首席代表・公使を務め、大学の先輩にあたる足立正日本商工会議所会頭などと接触し、日韓国交正常化に向け尽力した。1962年駐オーストラリア大使[2][3][4]

脚注

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  1. ^ a b 永島広紀 「帝国」の大学に学んだ朝鮮人学生韓国研究センター年報22巻
  2. ^ 『日韓交流陰で支えた男: 朴哲彦の人生著者: 朴哲彦』産経新聞出版
  3. ^ 「新聞集成昭和編年史. 昭和36年版 4 (自7月-至8月)」国立国会図書館
  4. ^ 柳町功「戦後日韓経済関係の形成における両国財界人の役割 - 」日韓文化交流基金
外交職
先代
厳尭燮
  駐日大韓民国代表部首席代表
第12代:1961.7 - 1961.12
次代
裴義煥
先代
-
 オーストラリア大韓民国大使
初代:1962.2 - 1970.2
次代
閔忠植