李家 孝(りのいえ たかし、1895年明治20年)3月28日 - 1978年昭和53年)2月18日)は、日本実業家三菱製鋼株式会社元取締役会長。剣道範士[1]

来歴

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李家隆介の次男として生まれる。1919年大正8年)、東京帝国大学工学部機械科卒業後、三菱重工業に入社[2]1941年(昭和16年)、三菱重工業神戸造船所造機工作部長を務める[3]1950年(昭和25年)、東日本重工業社長に就き、1952年(昭和27年)、三菱日本重工業株式会社取締役を経て、1955年(昭和30年)に三菱製鋼株式会社取締役会長兼三菱日本重工業株式会社取締役(後に相談役)に就任した[4]

人物

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趣味は剣道、謡曲、打球。宗教は真宗

家族

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長男・孝信(三井物産三井リース事業副社長)は新田帯革製造所(現ニッタ)社長新田長三の次女・絢子と結婚した。孫(孝信の長男)は東京大学大学院工学系研究科・工学部教授の李家賢一[5][6]

脚注

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  1. ^ 歴代会長”. www.mitsubishi-budo.com. 2021年3月14日閲覧。
  2. ^ 大衆人事録. 第14版 近畿・中国・四国・九州篇 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年3月14日閲覧。
  3. ^ 人事興信録. 第14版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年3月14日閲覧。
  4. ^ 三菱鋼材株式会社有価証券報告書”. 三菱鋼材株式会社. 2021年3月15日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ 『人事興信録 第37巻 下』人事興信所編、1993年、り-1頁。 
  6. ^ 閨閥学 (2018年8月25日). “李家家(長崎県知事・李家隆介・李家孝の家系図・子孫)”. 閨閥学. 2022年8月31日閲覧。