杉村勇次郎
杉村 勇次郎(すぎむら ゆうじろう、1871年9-10月(明治4年8月) - 1959年(昭和34年)1月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
杉村 勇次郎 | |
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生誕 |
1871年9-10月 日本 石川県 |
死没 | 1959年1月14日 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1891年 - 1917年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集石川県出身[1][2]。1891年(明治24年)陸軍士官学校第2期卒業[2][3]。
1912年(大正元年)9月に陸軍憲兵大佐・神戸連隊区司令官、1913年(大正2年)8月に歩兵第20連隊長、1916年(大正5年)4月に陸軍少将・歩兵第7旅団長を経て、1917年(大正6年)8月に待命、同年12月に予備役に編入した[1][2][3]。
著作
編集- 『局部戦史』兵林館、1900年。
- 閲『軍隊学術幹部須知』鍾美堂、1902年。
- 『豊太閤朝鮮役 : 軍事的批判』日本学術普及会、1922年。
- 『青年訓練所教練指導要領』赤炉閣、1931年。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。