杉本喜久雄
杉本 喜久雄(すぎもと きくお、1942年8月4日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(投手)。阪神タイガースに所属した杉本郁久雄は弟。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 岡山県倉敷市 |
生年月日 | 1942年8月4日(82歳) |
身長 体重 |
180 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1961年 |
初出場 | 1961年 |
最終出場 | 1962年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集岡山県立倉敷工業高等学校では2年生の時、エースとして1959年の甲子園に春夏連続出場[1]。春の選抜は1回戦で東邦高に大敗[2]。同年夏の甲子園は、1回戦で石谷訓啓のいた大田高を降す。しかし2回戦で東北高の嶺岸征男(大毎)、波山次郎の継投の前に完封負けを喫した[3]。秋の東京国体は準々決勝で高鍋高を完封。準決勝に進むが平安高の藤野隆司に抑えられ敗退。1年上のチームメイトに三宅博がいた。
同年の秋季中国大会準決勝に進むが、米子東高に5-6で惜敗。翌1960年夏の甲子園予選東中国大会でも決勝に進み、米子東高の宮本洋二郎と投げ合うが、またも2-3と惜敗し甲子園出場を逸する。高校同期では一塁手の小橋優、右翼手の中村邦弘(大毎)がプロ入りしている。
1961年に広島カープへ入団[1]。大型左腕と期待され1年目から一軍で起用される。10月17日に初先発、巨人の伊藤芳明との投手戦となり6回を1失点に抑えるが勝ち負けはつかなかった。翌1962年は7試合に登板するが、同年限りで引退した[1]。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1961 | 広島 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | .000 | 26 | 6.1 | 6 | 1 | 1 | 0 | 0 | 14 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1.29 | 1.11 |
1962 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | .000 | 40 | 9.1 | 7 | 1 | 5 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 4 | 4 | 3.60 | 1.29 | |
通算:2年 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | .000 | 66 | 15.2 | 13 | 2 | 6 | 0 | 0 | 17 | 0 | 0 | 5 | 5 | 2.87 | 1.21 |
背番号
編集- 45 (1961年 - 1962年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 杉本喜久雄 - NPB.jp 日本野球機構