杉山茂 (貴族院議員)
杉山 茂(すぎやま しげる、1890年(明治23年)5月10日[1] - 1975年(昭和50年)3月29日[1][2])は、大正から昭和期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。
杉山茂 すぎやま しげる | |
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生年月日 | 1890年5月10日 |
出生地 |
日本 神奈川県大住郡須馬村 (現・神奈川県平塚市) |
没年月日 | 1975年3月29日(84歳没) |
出身校 | 明治学院卒業 |
前職 | 醤油味噌醸造業 |
在任期間 | 1946年9月20日 - 1947年5月2日 |
須馬町会議員 |
経歴
編集神奈川県大住郡須馬村須賀[1](中郡須馬町、平塚町を経て現平塚市)で、醤油味噌醸造業・杉山善平の長男として生まれる[1][3][4]。1910年(明治43年)明治学院を卒業した[1][2]。
家業に従事し、1923年(大正12年)コンクリート製のもろみタンクを考案[1]。1924年(大正13年)家督を相続し[3]、米善醸造を県下一の醸造会社に成長させた[1]。
1923年、須賀郵便局長に就任[2]。1925年(大正14年)須馬町会議員に選出され平塚町との合併に尽力し[1]、学務委員も務めた[2]。合併実現後、同町会議員、平塚市会議員を務めた[1][2]。議員退任後、神奈川県醤油工業理事、同県醤油統制会社社長、同県醤油工業協同組合理事長を務めた[1][2]。その他、湘南鉄工所社長[2]、駿河銀行監査役、相模鉄道監査役などを務めた[4]。
1946年(昭和21年)補欠選挙[5]で貴族院多額納税者議員に互選され[1]同年9月20日から[5][6]1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
- 神奈川県県民部県史編集室編『神奈川県史 別編1』人物 : 神奈川県歴史人名事典、神奈川県、1983年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。