杉山マルコス
杉山マルコス(すぎやま マルコス、1973年11月16日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。
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基本情報 | ||||
国籍 |
ブラジル 日本 | |||
生年月日 | 1973年11月16日(50歳) | |||
出身地 | サンパウロ | |||
ラテン文字 | Marcos Sugiyama | |||
身長 | 188cm | |||
体重 | 90kg | |||
血液型 | B型 | |||
選手情報 | ||||
愛称 | カレ | |||
ポジション | OH | |||
指高 | 242cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 340cm | |||
ブロック | 320cm |
来歴
編集ブラジル・サンパウロ出身。父はブラジル人の元サッカー選手で、ヤンマーにて釜本邦茂のチームメイトだったカルロス・エステベス。母は日本人。
8歳でバレーを始め、12歳でブラジル国内のプロチームに所属。2000年からイタリア・セリエA2のトンノ・カッリポでプレーしていた時に、当時の全日本男子監督田中幹保の目に留まり[1]、2002年に来日し堺ブレイザーズに入団した[2]。
2003年9月、日本国籍を取得。全日本代表入りに際し2年以上日本の居住歴がないことが障壁となったが、日本バレーボール協会の働きかけにより、ブラジル代表歴がないことなどを理由に国際バレーボール連盟から特例で許可され、2004年2月に代表初選出[3][4]。3大会ぶりのオリンピック出場をかけた日本の新戦力、秘密兵器として、4月に行われた親善試合の日米対抗で全日本デビュー、アテネオリンピック世界最終予選初戦の5月22日アルジェリア戦で公式戦デビューを飾った[5]。
2005年にはワールドリーグに出場。アジア選手権では10年ぶりの優勝に貢献し、MVPを獲得した。
2006年9月、サントリーサンバーズに移籍[6]。2008/09プレミアリーグにて4年ぶり2回目のサーブレシーブ賞を受賞した。
2012年8月、豊田合成トレフェルサのトライアウトに合格し、日本バレー界に復帰した[7]。
2023年からは、バレーボールホンジュラス女子代表の監督を務めている[8]。
球歴
編集- 全日本代表 - 2004-2005年
- ワールドリーグ - 2005年
受賞歴
編集- 2004年 - 第10回Vリーグ ベスト6
- 2005年 - アジア選手権 MVP
- 2005年 - 第11回Vリーグ サーブレシーブ賞
- 2009年 - 2008/09Vプレミアリーグ サーブレシーブ賞
所属チーム
編集- トンノ・カッリポ(2000年)
- 堺ブレイザーズ(2002-2006年)
- サントリーサンバーズ(2006-2009年)
- ヴィボ・ヴァレンツィア
- ショッピングABC
- ルポ・ナウ・アララクアラ
- 豊田合成トレフェルサ(2012-2014年)
脚注
編集- ^ “人間解析ドキュメント「ZONE」 第205回 「女子に続け 全日本男子バレーボール」”. TBS (2004年5月23日). 2007年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月23日閲覧。
- ^ “【バレー】バレー界の「闘莉王」杉山マルコス大和魂1勝 サンスポ”. サンケイスポーツ (2004年5月23日). 2013年11月23日閲覧。
- ^ “アテネで飛べ帰化2世=男子バレー五輪最終予選=杉山「日本助ける」”. ニッケイ新聞 (2004年5月22日). 2013年11月23日閲覧。
- ^ “杉山マルコス、代表OK バレーボール男子に朗報”. 47NEWS (2004年2月2日). 2013年11月23日閲覧。
- ^ “マルコス独り舞台! 日本快勝/男子バレー”. 日刊スポーツ (2004年5月23日). 2013年11月23日閲覧。
- ^ “新加入選手について”. サントリーサンバーズ (2006年9月9日). 2013年11月23日閲覧。
- ^ “外国人選手&新加入選手合流のお知らせ”. 豊田合成トレフェルサ (2012年9月25日). 2013年11月23日閲覧。
- ^ “Esperan una reñida Copa Centroamericana Mayor Femenina”. www.afecavol.org. 2024年2月5日閲覧。
参考文献
編集外部リンク
編集- 日本バレーボールリーグ機構の旧サイトにおけるプロフィール - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
- 豊田合成トレフェルサ 選手プロフィール