本田英作
本田 英作(ほんだ えいさく、1885年(明治18年)4月18日[1] - 1948年(昭和23年)10月4日[2])は、衆議院議員(立憲民政党→日本自由党)、弁護士。
経歴
編集長崎市出身。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。司法官試補を経て、鹿児島地方裁判所や長崎地方裁判所で判事を務めた[3]。退官後は弁護士事務所を開業し、長崎市会議員を3期、長崎県会議員を2期務めた[4]。
1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第19回・第20回でも再選された。
戦後の1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙で当選。第23回でも再選された。その間、第1次吉田内閣で外務政務次官に就任した。衆議院議員在職中の1948年10月に死去した。
脚注
編集参考文献
編集- 『人事興信録 第十二版(下)』人事興信所、1939年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。
議会 | ||
---|---|---|
先代 山崎猛 |
衆議院懲罰委員長 | 次代 高橋泰雄 |