本田明浩
本田 明浩(ほんだ あきひろ、1967年8月18日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。
履正社ベースボールクラブ コーチ #71 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県西脇市 |
生年月日 | 1967年8月18日(57歳) |
身長 体重 |
176 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1991年 ドラフト6位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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来歴・人物
編集杜高卒業後、社会人野球の新日本製鐵大分では、1990年(補強選手)から2年連続で都市対抗野球に出場[1]。1991年のドラフト会議で福岡ダイエーホークスから6位指名を受け、契約金4500万円、年俸600万円(それぞれ推定)で契約を結んだ。背番号は35。176cm、73kg(入団時)と体格は大きくなかったが、遠投120メートルの強肩捕手で、即戦力として期待されていた。
しかし、1995年より背番号が61に変更。結局、一軍出場のないまま2000年に退団した。
2001年にブルペン捕手として阪神タイガースに入団した(背番号は94)が、10年目となるため選手登録されており、1試合のみだが二軍戦に出場している。このシーズン終了後に正式に引退し、その後は2004年までブルペン捕手、2005年からは育成担当を務め、2009年から再度ブルペン捕手を務めている。2018年限りで退団。
2018年12月25日、2019年シーズンより四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスで野手コーチに就任することが発表された[2]。2020年1月14日、2019年シーズンでの退団が発表された[3]。
その後は、履正社国際医療スポーツ専門学校(履正社ベースボールクラブ)で指導している。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集- 一軍公式戦出場なし
背番号
編集- 35(1992年 - 1994年)
- 61(1995年 - 2000年)
- 94(2001年 - 2009年途中)
- 111(2009年途中 - 2018年)[4]
- 81(2019年)
脚注
編集- ^ '94スポニチプロ野球手帳
- ^ 高知FD 新野手コーチ就任のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2018年12月25日)
- ^ 高知FD本田明浩コーチ退団のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2020年1月14日)
- ^ 育成選手だった野原祐也外野手が支配下選手登録されたことに伴う変更。なお、「111」は、漫画『男どアホウ甲子園』(佐々木守原作・水島新司作画)で阪神の投手として登場した主役・藤村甲子園の背番号として使われていたが、実際の阪神在籍者が使用したのはこれが初めてである。『ドカベン ドリームトーナメント編』では、史実を無視する形で藤村が111番を着用している。