本田みずほ
本田 みずほ(ほんだ みずほ、1973年4月22日 - )は、日本のお笑いタレント。本名:本田 美津保(結婚前の旧姓)。吉本興業所属。
本田 みずほ | |
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本名 | 本田 美津保(旧姓) |
別名義 | Em Zed Eych |
生年月日 | 1973年4月22日(51歳) |
出身地 | 日本・神奈川県相模原市 |
血液型 | AB型 |
身長 | 167 cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 共通語 |
最終学歴 | 神奈川県立上溝高等学校卒業 |
師匠 | 間寛平 |
事務所 | 吉本興業 |
活動時期 | 1989年 - |
過去の代表番組 |
『とぶくすり』 『うるとら7:00』 『ウイークエンド・ジョイ』 |
他の活動 |
パンク・ロックバンド 女優 キャンドル作家 |
配偶者 | 有り |
公式サイト | 本田みずほ Em Zed Eych |
来歴
編集小学1年生の頃に漫才ブームの影響を受け、漫才師に憧れる。小学校の高学年になると手当たり次第にタレントオーディションを受けるが、すべて不合格となる。
相模原市立上溝南中学校では演劇部に入り、研ナオコや樹木希林のような女優に憧れる。神奈川県立上溝高校1年の夏、オーディション雑誌の片隅に「吉本興業/バッタモンクラブ・オーディション」の広告を見つけ、演劇部の友人2人と挑戦。「ぱぁぷるず」の名で初舞台に立つ。これを機にお笑いに目覚め、友人と別れ新たに1人コントに挑む。吉本バッタモンクラブで芸を磨き、高校卒業後に間寛平門下となる[1][2]。アイドル風のルックスで、当時は「西のキョンキョン」などと呼ばれていた[3]。
1993年、フジテレビの深夜番組『とぶくすり』のレギュラーに抜擢される。しかし『とぶくすりZ』の終了以降、一旦メディアから消えることになる。
1994年にパンク・ロックバンド「SPOON PERM」を結成し、作詞およびボーカルを担当。1996年3月25日、ミラクル・レコードからアルバム『BEST?』をリリースする[4]。
その後はルミネtheよしもとの新喜劇などの舞台を中心に、お笑い芸人として活動している。また、『とぶくすり』の後継番組である『めちゃ2イケてるッ!』に数年に一度のペースでゲスト出演し、「濱口だまし」にも参加した。同番組の終了後には本田もフジテレビのリハ室に招集され、総監督の片岡飛鳥から番組特製メダルを授与されたとTwitterとInstagramで報告している[5]。
日本アロマ環境協会認定アロマテラピーアドバイザー。この資格と絵画の趣味を生かし、Em Zed Eych(エムゼットエイチ)名義で手作りのアロマキャンドルアート作品を発表している[7]。2015年には、表参道の galerie doux dimanche(ギャラリー・ドゥー・ディマンシュ)で初の個展を開いた[8]。
出演
編集テレビ番組
編集- 5時SATマガジン(中京テレビ)
- クイズ!年の差なんて(フジテレビ)
- 平成名物TV 第2部「IKE IKE CLUB」(1990年 - 1991年、TBS)
- 黒BUTA天国(1993年 - 1994年、テレビ東京)
- とぶくすり(1993年、フジテレビ)[3][5]
- 電波結社バババ団(1993年 - 1994年、中京テレビ)[9]
- うるとら7:00(1993年 - 1995年、日本テレビ)[1]
- 殿様のフェロモン(1993年 - 1994年、フジテレビ)[5]
- とぶくすりZ(1994年 - 1995年、フジテレビ)[10]
- お年玉スペシャル 笑う正月!ハッスルかましてよかですか!?(1994年1月1日、フジテレビ)
- グルーヴレーサー(テレビ神奈川)[1]
- ウイークエンド・ジョイ(1997年 - 1998年、NHK BS2)[11][12]
- ヨシモト∞ 土曜第2部「ADORIBU武道会」(2006年 - 2007年、ヨシモトファンダンゴTV)
- YOSHIMOTO DIRECTOR'S 100 〜100人が映画撮りました〜(2007年、中京テレビ)[13]
テレビドラマ
編集ラジオ番組
編集- TEAM-0と本田みずほの赤ずきんちゃん気をつけて(1993年、TBSラジオ)
舞台
編集- 舞台版 笑いの殿堂(1991年)[1]
- ホラリオン 〜笑いと恐怖の大祭典〜「新・地獄の楽園」(2008年、劇団あぁルナティックシアター公演)[13]
映画
編集脚注
編集- ^ a b c d e “本田みずほ Em Zed Eych”. 2019年4月10日閲覧。
- ^ 中西元男 (2019年11月14日). “「下北沢の駅前で1カ月半暮らしていました」本田みずほ、46歳の告白”. Yahoo!ニュース. 2020年6月22日閲覧。
- ^ a b “最終回から1年 『めちゃイケ』片岡飛鳥の告白「山本圭壱との再会は最後の宿題だった」”. 文春オンライン(文藝春秋). p. 5 (2019年3月30日). 2019年4月10日閲覧。
- ^ “スプーンパーマ / ベスト?”. CDJournal. 2019年4月10日閲覧。
- ^ a b c mizuhonda0422 (2018年12月7日). “今日めちゃイケ総監督の片岡飛鳥さんにお会いし名前入り金メダルを授与していただきました💖”. Instagram. 2019年4月10日閲覧。Twitterへの投稿内容も左記と同様。
- ^ “よゐこ濱口と破局11年、本田みずほエリートと結婚”. ZAKZAK(夕刊フジ). (2006年11月21日) 2013年1月2日閲覧。
- ^ “趣味が仕事になった!キャンドル作家Em Zed Eychさんインタビュー”. LEE(集英社) (2016年12月2日). 2019年4月10日閲覧。
- ^ “本田みずほが作り出すメルヘンテコな世界!Em Zed Eychキャンドル展「LʼEAU À LA BOUCHE」開催”. エキサイト (2017年10月5日). 2019年4月10日閲覧。
- ^ 『中日新聞縮刷版』中日新聞社、1993年10月2日、30頁。
- ^ “とぶくすりベスト”. ポニーキャニオン. 2019年4月15日閲覧。
- ^ “ウイークエンド・ジョイ”. 日本放送協会 (1997年10月10日). 2019年4月10日閲覧。
- ^ “ウイークエンド・ジョイ”. 日本放送協会 (1998年4月3日). 2019年4月10日閲覧。
- ^ a b c “本田みずほ(ほんだみずほ)のプロフィール・画像・出演スケジュール|【スタスケ】(0000136078)”. ザテレビジョン. 2019年4月16日閲覧。
外部リンク
編集- 吉本興業のウェブサイトでのプロフィール
- 本田みずほ / Em Zed Eych (@MizuHonda) - X(旧Twitter)
- Em Zed Eych 本田みずほ (emzedeych) - Facebook
- mizuhonda0422 (@mizuhonda0422) - Instagram
- みずほ視点 - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分) - Yahoo!ブログ
- 本田みずほ プロフィール|吉本興業株式会社
- 本田みずほ - オリコン