本多正賢
本多 正賢(ほんだ まさかた、1983年12月29日 - 2014年11月7日)は、日本の地方競馬の元騎手。現役時代は千葉県競馬組合(船橋競馬)の佐々木功厩舎所属であった。後述の落馬事故により2014年に引退となり、その後同年に死去した。
本多正賢 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 秋田県 |
生年月日 | 1983年12月29日 |
死没 | 2014年11月7日(30歳没) |
血液型 | A型 |
騎手情報 | |
所属団体 | 千葉県競馬組合 |
所属厩舎 | 佐々木功(船橋) |
勝負服 | 赤、胴黄縦縞 |
初免許年 | 2001年 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 | 2014年5月31日 |
来歴
編集2001年9月29日付で地方競馬騎手免許を取得。同年10月10日第8回船橋競馬1日目第2競走C3五組ア条件戦パダンパダンで初騎乗(12頭立て10番人気12着)。翌2002年2月25日第12回船橋競馬1日目第1競走4歳条件戦(17万円以上39万円以下)をゴーゴートップランで優勝(8頭立て1番人気)し、初勝利。
2002年3月16日から8月16日まで益田競馬場が廃止されるまで武者修行を行った。益田競馬での最終騎乗は第7回益田競馬6日目第9競走の日本海特別(重賞)でカネキヒットに騎乗し5着だった(8頭立て8番人気)。益田競馬通算成績は181戦5勝。
2010年7月28日第7回大井競馬4日目第10競走第31回サンタアニタトロフィーをカキツバタロイヤルで優勝(16頭立て6番人気)し、重賞初制覇[1][2]。
2011年1月4日、川崎競馬第1競走でダージーブライアンに騎乗し、レース中に他馬と接触しバランスを崩して落馬した。その際に本多はコースに放り出され後続馬に巻き込まれて頭部を強打、意識不明の状態となった為、川崎市立川崎病院に救急搬送された[3]。 復帰を目指して長期療養に入ったものの、2014年5月31日付で騎手免許期間の失効により引退となった[4]。
その後も療養を続けてきたが、2014年11月7日、敗血症のため埼玉県ふじみ野市内の病院で死去した[4][5]。30歳没。
地方通算成績は1974戦96勝・2着96回・3着132回・勝率4.9%・連対率9.7%。
脚注
編集- ^ サンタアニタトロフィー、カキツバタロイヤル優勝! - 南関魂
- ^ 【大井・サンタアニタT】カキツバタロイヤル殊勲V - SponichiAnnex
- ^ 本多騎手が落馬 頭部強打で意識不明の重体 スポーツニッポン 2010年1月5日閲覧
- ^ a b 本多正賢元騎手が死去 11年に落馬、脳挫傷などで入院治療 - スポニチアネックス、2014年12月12日閲覧
- ^ 本多正賢元騎手が死去…11年に落馬後闘病実らず - サンケイスポーツ 2014年11月10日閲覧
関連項目
編集外部リンク
編集- 騎手登録情報 - 地方競馬情報サイト
- 騎手詳細データ - nankankeiba.com
- 本多 正賢 ホンダ マサカタ - 船橋ケイバ