本吉達也
日本のジャーナリスト、政治家、教育者
本吉 達也(もとよし たつや、1952年(昭和27年)4月29日[1] - )は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者。羽咋市長や小都市市長会会長、全国青年市長会副会長、富山第一高等学校校長等を歴任した。
本吉達也 もとよし たつや | |
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生年月日 | 1952年4月29日(72歳) |
出生地 | 日本 石川県羽咋市 |
出身校 | 一橋大学法学部卒業 |
前職 | 石川テレビ社員 |
現職 | 富山第一高等学校校長 |
親族 | 父・本吉二六(羽咋市長) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1996年11月1日 - 2004年10月31日 |
人物・経歴
編集現在の石川県羽咋市で本吉二六(第3代羽咋市長)の子として生まれ、金沢大学教育学部附属高等学校を経て、一橋大学法学部卒業後、石川テレビ放送報道部記者や、報道部副部長を務めた[2][3]。
1996年から2004年まで羽咋市長[2][4]を務め、議長車以外の黒塗り車を廃止してハイブリッドカーを導入するなど、財政再建にあたった[5][4]。また、直接請求を受け、志雄町や押水町、志賀町等への市町村合併の呼びかけも行った[6][7]。小都市市長会会長、全国市長会理事、全国青年市長会副会長を歴任[3]。
市長退任後は、2007年から2018年まで民間人校長として富山第一高等学校校長を務め[8]、富山県高校演劇研究協議会会長[9]、富山県高等学校文化連盟副会長[10]、富山県私立中学高等学校協会副会長[11]、富山県高等学校野球連盟副会長、石川県日中友好協会副会長[12]等も兼務。硬式野球部の体罰問題への対処などにあたった[13][14]。趣味はカヌー[15]。
著作
編集- 「民官一体となったまちづくり」市政 47(2) 1998年
- 「歴史と文化息づく人が活きるまち」市政 50(11) (通号 592) 2001年
- 「行政改革--能力主義の導入、組織改革、行政評価システム」(柴田啓次,古川俊一他と共著)地方自治経営学会誌 / 地方自治経営学会 編 8(1) (通号 12) 2002年
- 「人は石垣、人は城 人事制度改革に取り組む」地方公務員月報 / 総務省自治行政局公務員課 編 (469) 2002年
- 「住民と行政が織りなす自然流ケア」介護保険情報 4(1) (通号 37) 2003年
- 『自治体経営革命 : 地方から考える市民の責任・首長の使命』(熊坂伸子,熊坂義裕と共著)メタモル出版 2003年
- 「地方制度の将来と今後の自治行財政のゆくえ」(北川正恭,山内章裕他と共著)地方財務 / ぎょうせい 編 (595) 2004年
脚注
編集- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、187頁。
- ^ a b 「私の交遊録」金澤2004年1-2号
- ^ a b 「著者略歴」『自治体経営革命―地方から考える市民の責任・首長の使命』
- ^ a b 「羽咋市長に橋中氏が初当選」2004 10月3日(Sun)北陸放送MROニュース
- ^ 「市長車 黒塗り復活の動きも」北國新聞社2014.10.19
- ^ 「平成の市町村大合併」西高東低 「お上任せ」に変化の兆し」朝日新聞東京本社発行 11月25日付朝刊
- ^ 「合併協設置請求で有効署名1124人分、きょうから縦覧 羽咋市選管審査=石川」読売新聞東京朝刊2003.01.29
- ^ [1]富山第一高等学校
- ^ [2]
- ^ [3]
- ^ [4]
- ^ 「葛廣彪総領事,石川県中日友好懇親会に出席」駐名古屋中華人民共和国総領事館
- ^ 「富山第一高野球部で体罰 監督が1年生部員たたく」北日本新聞2017.1.29 0:27
- ^ 「男性教諭、練習中ふざけていた野球部員をたたく 富山の高校で体罰」産経ニュース2017.1.28
- ^ 「モンベル主催カヌー・カヤック・イベント「トライ&キャリー」レポート第1弾」ベイエフエム