木村文男
木村 文男(きむら ふみお、1904年7月18日[1] - 1965年3月20日[2])は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(3期)。息子は青森県知事や衆議院議員を務めた木村守男。孫は元衆議院議員の木村太郎、衆議院議員の木村次郎。
経歴
編集青森県南津軽郡藤崎町出身[3]。父健一は藤崎町の助役や町長を務めた[3]。1925年青森県師範学校を卒業[2][3]。卒業後は教員となり、その後は青森県属、小学校校長、地方事務官などを務めた[2][3]。
戦後、政治家を志し、1947年に青森県議に当選[3]。1952年の第25回衆議院議員総選挙で青森2区から自由党公認で立候補して初当選。以来連続3回当選した(その後、所属は日本民主党→自由民主党)。この間、第1次鳩山内閣で北海道開発政務次官に就任した[2][3]。1958年の第28回衆議院議員総選挙で落選した。
この他、自由民主党青森県連合会副会長[2][3]、弘栄産業、弥助商会各取締役社長[2]、青森県スポーツ振興会議長などを歴任し[2]、勲三等瑞宝章を受章した[3]。1965年死去。
脚注
編集参考文献
編集- 『大衆人事録』第19版、東京篇、帝国秘密探偵社、1956年。
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。