木村庄三郎
大相撲の行司名跡
解説
編集この名跡は、主に立浪一門の部屋に所属する行司が襲名する事が多い。6代目は、木村姓から式守伊之助(10代)を襲名した最初の行司(のち17代木村庄之助)である。
6代目の弟子で「ひげの伊之助」で知られる19代式守伊之助(立浪部屋所属)が8代目、8代目の弟子の31代木村庄之助(立浪部屋所属)が9代目を襲名。のちに立行司に昇進。2003年1月、8代目の弟子で9代目の兄弟子の27代木村庄之助の弟子(つまり9代目の甥弟子)である37代木村庄之助(大島部屋所属)が10代目を襲名し、立行司昇進の直前まで名乗った。
2025年1月から、二所ノ関一門の田子ノ浦部屋に所属する木村隆男が11代目を襲名した[1]。
初代(1811年襲名)以前、正徳年間(1711年~1715年)に存在した木村庄三郎は、中立姓の流れをくむ木村家の正三郎・庄三郎とは別系の人物。
歴代
編集脚注
編集- ^ 「【初場所新番付】佐田の海が幕内から陥落、朝乃山は西幕下41枚目に降格/番付降下など」『日刊スポーツ』2024年12月23日。2024年12月23日閲覧。