木暮郁哉

日本のサッカー選手

木暮 郁哉(こぐれ ふみや、1989年6月28日 - )は、東京都北区出身のプロサッカー選手。ポジションはMF。本職はボランチだが、サイドハーフやサイドバックもこなす。

木暮 郁哉
名前
カタカナ コグレ フミヤ
ラテン文字 KOGURE Fumiya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1989-06-28) 1989年6月28日(35歳)
出身地 東京都北区
身長 177cm
体重 62kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
2005-2007 日本の旗 三菱養和
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2014 日本の旗 アルビレックス新潟 45 (0)
2013 日本の旗 水戸ホーリーホック(loan) 15 (0)
2014 日本の旗 アスルクラロ沼津(loan) 21 (3)
2015 シンガポールの旗 アルビレックス新潟・S 25 (3)
2016-2017 シンガポールの旗 ホウガン・ユナイテッド 40 (11)
2018 シンガポールの旗 ゲイラン・インターナショナル 21 (1)
2019-2020 カンボジアの旗 ソルティーロ・アンコール 36 (10)
2021-2022 カンボジアの旗 ナガワールド 34 (7)
通算 237 (38)
代表歴
2008  日本U-19 2 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

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ユース時代は三菱養和SCの下部組織で過ごし、各年代の日本代表に選出されていた。

高校卒業後はアルビレックス新潟に入団。ルーキーながらもボランチのレギュラーに定着し、リーグ戦12試合に出場。また、AFC U-19選手権日本代表にも選出されたが、プロのフィジカルに悩まされ、故障。長期離脱を余儀なくされ、リーグ後半戦を棒に振ってしまった。

その後は負傷の影響もあり満足な出場機会を得られなかったが、2011年、背番号を13番から8番に変更。新潟で日本人選手が8番を背負うのは元日本代表山口素弘以来となった。この年は左右サイドハーフで起用され、10月22日に行われた天皇杯2回戦富山新庄クラブ戦でプロ初ゴールを決めた。

2013年シーズンは水戸ホーリーホック[1]、2014年シーズンはアスルクラロ沼津期限付き移籍[2]。しかしこの年アルビレックス新潟との契約満了[3]。アスルクラロ沼津との契約も満了となった[4]

2015年、アルビレックス新潟シンガポールへ完全移籍。

2016年、ホウガン・ユナイテッドFCへ完全移籍。

2019年、カンボジアソルティーロ・アンコールFCへ移籍[5]

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2008 新潟 13 J1 12 0 2 0 1 0 15 0
2009 3 0 4 0 1 0 8 0
2010 7 0 4 0 1 0 12 0
2011 8 19 0 0 0 1 1 20 1
2012 4 0 3 1 0 0 7 1
2013 水戸 J2 15 0 - 1 0 16 0
2014 沼津 10 JFL 21 3 - - 21 3
シンガポール リーグ戦 リーグ杯シンガポール杯 期間通算
2015 新潟S 8 Sリーグ
2016 ホウガン
通算 日本 J1 45 0 13 1 4 1 62 2
日本 J2 15 0 - 1 0 16 0
日本 JFL 21 3 - - 21 3
シンガポール Sリーグ
総通算 81 3 13 1 5 1 99 5

代表歴

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出典

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  1. ^ 木暮 郁哉選手 アルビレックス新潟より期限付き移籍加入のお知らせ”. 水戸ホーリーホック (2013年1月8日). 2013年1月8日閲覧。
  2. ^ 木暮 郁哉選手 アスルクラロ沼津に期限付き移籍のお知らせ”. アルビレックス新潟 (2014年1月16日). 2014年1月16日閲覧。
  3. ^ 木暮 郁哉選手の契約について”. アルビレックス新潟 (2014年11月28日). 2014年12月6日閲覧。
  4. ^ 木暮 郁哉選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ”. アスルクラロスルガ株式会社 (2014年11月28日). 2014年12月6日閲覧。
  5. ^ ソルティーロ・アンコールFC [@soltiloangkorfc] (2019年1月22日). "Welcome to SOLTILO Angkor FC🎉". X(旧Twitter)より2020年2月22日閲覧

関連項目

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外部リンク

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