木原征治
木原 征治(きはら せいじ、1941年1月15日 - 2018年12月4日)は、広島県広島市堀越(現・南区)出身のフィールドホッケー選手・指導者。現役時代のポジションはセンターフォワード(FW)。1960年ローマオリンピック[1]、1964年東京オリンピック日本代表。元男子代表監督で、2007年9月から男子強化本部長に就任。元日本ホッケー協会副専務理事、常任理事。
来歴
編集昭和30年代に黄金期を築いたホッケーの名門・広島山陽高校の中心フォワードとして在学中、高校選手権、国体の二冠を各1度制覇、進学した早稲田大学でも主力選手として活躍した。早稲田在学中、19歳で1960年ローマオリンピックの日本代表となるがチームは予選リーグで敗退。
1964年東京オリンピックではホッケー日本代表の18人中、6人が山陽高校OBで固められたが、木原も中心FWとして地元開催の重圧と戦いながら8強入りに貢献した。ドイツとの最終戦では豪快なロングシュートを叩きこんだ。オリンピック終了後引退。
1977年ローマインターコンチネンタルカップから男子代表監督就任。その後延べ10年以上代表監督、また強化委員長を務めた。2004年一時体調を崩したが2007年9月、2008年北京オリンピックで1968年メキシコシティーオリンピック以来のオリンピック出場を目指す男子代表チームの強化本部長に就任、陣頭指揮を執る。
2018年12月4日午後9時33分、直腸癌のため広島市内の病院で死去、77歳だった[2]。
脚注
編集- ^ “【平岡洋二 連載コラム】ホッケーとの関わりを築いてれくた木原さん”. 東スポweb (2020年9月30日). 2021年1月19日閲覧。
- ^ 木原征治さん死去 77歳、ホッケー元日本代表監督 - ウェイバックマシン(2018年12月15日アーカイブ分)