木佐徳之助
日本の実業家、政治家 (1890-1969)
木佐 徳之助(きさ とくのすけ、1890年〈明治23年〉10月16日[1][2] - 1969年〈昭和44年〉6月7日[1])は日本の実業家、政治家。島根県平田市名誉市民。木佐家第9代当主。号は旅峰。島根県多額納税者[3]。農業[3]。位階は正六位[2]。
木佐徳之助 きさ とくのすけ | |
---|---|
生年月日 | 1890年10月16日 |
没年月日 | 1969年6月7日(78歳没) |
出身校 | 慶應義塾大学[注釈 1] |
前職 | 実業家 |
称号 |
正六位 勲五等双光旭日章 |
親族 |
父・木佐徳三郎(衆議院議員) 義兄・13代絲原武太郎(貴族院議員) 娘婿・庄司保親(渡村議会議員) |
宗教 | 大社教 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1955年2月5日 - 1967年5月16日 |
平田町長 | |
在任期間 | 1948年 - 1954年 |
経歴
編集徳三郎の男[4]。慶大に学ぶ[5][注釈 1]。農業を営む[3]。
雲洋石油株式会社を創設し、1928年(昭和3年)社長となり、1945年(昭和20年)帰郷[7]。
1948年(昭和23年)に平田町長に就任した[2]。1954年(昭和29年)、町長を辞任した[2]。1955年(昭和30年)2月5日から1967年(昭和42年)5月16日まで、平田市長を務めた[2]。
栄典
編集人物像
編集家族・親族
編集木佐家
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、328頁。
- ^ a b c d e 『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第3巻 143コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c 『人事興信録. 13版』(昭和16年)上キ三
- ^ a b c d 『人事興信録. 7版』(大正14年)き二四
- ^ 学歴について『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上では「慶大理財科豫科出身」、『新日本人物大観』(島根県版)昭和32年(1957年) カ・キ…379頁では「慶大本科中退」となっている。
- ^ a b 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上キ三
- ^ a b c d e f g h i j k 『新日本人物大観』(島根県版) 人事調査通信社 1957年 カ・キ…379頁
- ^ 『叙勲名鑑 昭和41年秋季版 258コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
編集- 『新日本人物大観』(島根県版) 人事調査通信社 1957年 カ・キ…379頁