木下 文信(きのした ふみのぶ、1966年9月4日 - )は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

木下 文信
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府東大阪市
生年月日 (1966-09-04) 1966年9月4日(58歳)
身長
体重
179 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1987年 ドラフト6位
初出場 1988年4月9日
最終出場 1997年7月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

来歴・人物

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近大附高では2年秋に府大会準決勝でPL学園と対して桑田真澄と投げ合うも清原和博ら打線の前に大差で敗れる。3位で出場した近畿大会では初戦で延長12回完投するも日没で引き分けとなり、再試合では完投7回コールド勝利すると、準決勝まで進み桑田登板を温存したPL学園にコールド負け。3年春の府大会準々決勝では再度PL学園と対して完封勝利[1]、夏は準々決勝で再戦するが清原に本塁打を浴びて敗れる。その後は社会人野球大阪ガスに進む。

1987年のプロ野球ドラフト会議近鉄バファローズから6位指名を受け入団[2]

プロ1年目の1988年から一軍初登板を果たし、同年10月19日のダブルヘッダー「10.19」では、第2試合の最後の投手として登板した(翌1989年10月12日の「10.12」決戦ダブルヘッダーでも第2試合の最後の投手として登板している)。左投げの中継ぎとして1995年まで在籍したが、オフに荒井幸雄小坂勝仁との交換トレード(プラス金銭)でヤクルトスワローズへ移籍[2]

ヤクルトでも中継ぎとして登板するが、1997年を最後に現役を引退した[2]

引退後の1998年大阪市に不動産会社「株式会社フォーティーワン」を設立し、代表取締役を務めている[3]。またその傍らNOMOベースボールクラブが主催する野球教室等で指導を行い、2022年現在はコーチを務めている[4]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1988 近鉄 32 0 0 0 0 2 1 0 -- .667 187 44.0 34 5 26 1 0 38 1 0 18 17 3.48 1.43
1989 21 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 131 29.2 22 3 21 1 2 32 0 0 13 12 3.64 1.45
1990 29 0 0 0 0 3 0 0 -- 1.000 149 32.0 35 6 19 2 3 17 3 1 26 23 6.47 1.69
1991 11 5 0 0 0 1 2 0 -- .333 106 22.2 19 6 20 0 2 15 0 0 15 14 5.56 1.72
1992 4 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 29 6.2 6 2 3 0 1 4 0 0 4 4 5.40 1.35
1994 36 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 183 43.0 35 3 28 2 2 30 1 0 20 20 4.19 1.47
1995 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 15 3.0 2 0 4 0 0 1 1 0 1 1 3.00 2.00
1996 ヤクルト 37 0 0 0 0 3 2 0 -- .600 132 27.2 31 2 16 1 1 31 1 0 17 15 4.88 1.70
1997 12 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 53 10.2 12 2 9 1 1 6 0 0 6 6 5.06 1.97
通算:9年 185 5 0 0 0 9 7 0 -- .563 985 219.1 196 29 146 8 12 174 7 1 120 112 4.60 1.56

記録

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背番号

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  • 41 (1988年 - 1989年)
  • 34 (1990年 - 1995年)
  • 24 (1996年 - 1997年)

脚注

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  1. ^ 94スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、188ページ
  3. ^ 木下文信氏 優勝消えても投げ続けたルーキー/連載”. 日刊スポーツ (2018年11月29日). 2022年11月27日閲覧。
  4. ^ NOMOベースボールクラブ | プロフィール | 木下 文信”. NOMOベースボールクラブ. 2022年11月27日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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