服部雄節
1802-1842, 江戸時代後期の囲碁棋士
服部 雄節(はっとり ゆうせつ、享和2年(1802年) - 天保13年1月29日(1842年3月10日))は、江戸時代の囲碁棋士。安井知得仙知門下、服部因淑を継いで服部家二世となった。元の名は黒川立卓。七段。御城碁6局を務めた。
経歴
編集安知得仙知門下となり、文政2年(1819年)に初段。翌年三段。当時、服部因淑の養子だった服部立徹(井上幻庵因碩)が井上家養子となったため、文政3年(1820年)に因碩の推薦により服部家養子に迎えられる。天保3年(1832年)五段の時に御城碁初出仕。天保9年(1838年)まで御城碁6局を務め、その間六段に昇段し、後七段。幻庵因碩の弟子の加藤正徹を養子とし、天保13年(1842年)に雄節が没すると、正徹が服部家を相続した。
御城碁戦績
編集- 1833年(天保3年)先番11目勝 安井俊哲
- 1834年(天保4年)二子8目勝 安井知得仙知
- 1835年(天保5年)白番2目勝 本因坊丈策
- 1836年(天保6年)先番9目勝 林柏栄
- 1837年(天保7年)白番1目負 安井俊哲
- 1839年(天保9年)先番中押勝 阪口仙得
天保4年の知得戦に、関山仙太夫「雄節の技柏栄より勝れり然るを仙知如此打つ愈妙なり」の評がある。
著作
編集- 『石配自在』青藜閣 1840年(互先定石を記したもの)