服部 茂章(はっとり しげあき、1963年11月3日 - )は、岡山県出身のレーシングドライバー。引退後はNASCARのチーム監督として第一線で活躍している。国外のメディアでは、「Shige Hattori(シゲ・ハットリ)」と紹介されることが多い。

来歴

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1979年に16歳でカートレースを開始。1990年にFJ1600鈴鹿シリーズでシリーズ4位に入り、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得[1]。1994年にシリーズ参戦3年目となったフォーミュラ・トヨタエッソチャレンジメインシリーズで3勝を挙げ、2位の島守広に全10戦中有効8戦でのポイント差を1に迫られながらもチャンピオンに輝き(同年シリーズ5位に余郷敦がいる[2][3])、F3などを経て渡米。インディ・ライツで日本人初のオーバルでの勝利を上げた(年間14位)。

1999年にCART参戦後、2000年からは自らのチームを作ってIRLに参戦。翌年インディ500に参戦し、僅か6/100秒差で予選通過を逃すという悔しい思いをするものの、2002年には決勝進出を果たした。2003年にはA.J.フォイトから参戦している。

2004年にはNASCARのウォルトリップ・レーシング(マシントヨタ・タンドラ)に移籍し、11月19日のクラフツマン・トラック・シリーズ(現ガンダー・アウトドアーズ・トラック・シリーズ)最終戦にフォード200よりNASCAR参戦。2005年にはアイシン・エイ・ダブリュの支援でフル参戦を果たすが、最高24位に終わっており、シーズン後半は参戦は叶わなかった。

 
2013年、K&NプロシリーズのHREのマシン(No.11)

2008年、NASCARとは異なるストックカー団体のARCA(Automobile Racing Club of America)において、服部が監督を務めるチームの「ハットリ・レーシング・エンタープライズ」(HRE)を発足させる。ARCA RE/MAXシリーズの開幕戦にて、日本政府とトヨタがスポンサーになり、ボンネットに「YOUKOSOJAPAN」の文字が入った[4]。会場で行われる人気カーランキングでは1位になるも、本レースはクラッシュに巻き込まれリタイヤに終わった。

2012年に19歳のブレット・モフィットが、K&Nプロシリーズ・イーストにてチーム初優勝を飾った。なお同年はレース体験を通じた研修の場として、日本国内のトヨタ自動車販売店のサービス・スタッフ及びトヨタ自動車整備学園の学生をチームに受け入れていた。このレースでは、神戸トヨペットのスタッフがHREのファクトリーで米国のクルーと共に Kobe Toyopet Camry車を仕上げ、チームを優勝に導いた[5]

 
2018年トラックシリーズチャンピオンのNo.16

2013年から同チームはNASCAR三大シリーズであるキャンピング・ワールド・トラック・シリーズエクスフィニティ・シリーズに散発的にスポット参戦するようになる。スポンサー集めに苦労しながらも、2017年にはトヨタやアイシングループの支援を受けて、モンスターエナジーカップ王者のマーティン・トゥルーエクスJr.の弟ライアン・トゥルーエクスを擁してトラックシリーズへのフル参戦を開始。マシンはトヨタ・タンドラ。2018年の第二戦でNo.16のブレット・モフィットが念願の初優勝を挙げると[6]、シーズン6勝をマークして最終戦で見事チャンピオンに輝いて見せた。3大シリーズ戦タイトルは、日本人オーナーとして初の快挙であった[7]

レース戦績

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  • 1988年
    • 全日本カート選手権(シリーズ4位)
  • 1989年
    • 全日本カート選手権(シリーズ3位)
  • 1990年
    • FJ1600鈴鹿シリーズ(#90 R&D F4/90)(シリーズ4位)
  • 1991年
    • FJ1600鈴鹿シリーズ(#68 オスカーSK91BULLET/オスカーSK91)(シリーズ2位)
  • 1992年
    • フォーミュラ・トヨタ(#61 Kyodo Card FT92)(シリーズ2位)
  • 1993年
    • フォーミュラ・トヨタ(#61 KAAZ FT93)(シリーズ3位)
    • 全日本F3選手権(3戦出場 #34 SUNTEC RT36無限/ラルトRT36)
  • 1994年
    • フォーミュラ・トヨタ(#60 KyodoCard★AS・FT)(シリーズチャンピオン)
    • 全日本F3選手権(6戦出場 #30 KyodoCard駿台AS033/TOM'S033F[8]
  • 1995年
    • フォーミュラ・アトランティック(P-1レーシング)(ルーキー・シリーズ4位)
  • 1996年
    • インディ・ライツ(#31 ドリコット・レーシング)(シリーズ13位、ルーキー・シリーズ3位)
  • 1997年
    • インディ・ライツ(#16 ルーカス・プレイス・モータースポーツ)(シリーズ25位)
  • 1998年
    • インディライツ(#16 インディ・リージェンシー)(シリーズ14位)
  • 1999年
    • CARTチャンピオンシップ(エプソン・ベッテンハウゼン・モータースポーツ #16 レイナード・メルセデスベンツ)
  • 2000年
    • IRL(8戦出場 トレッドウエイ・レーシング #55)(最高位 7位)
  • 2001年
    • IRL(ヴァーテックス・カニンガム #55 ダラーラ・オールズモビル)(シリーズ13位)
  • 2002年
    • IRL(Rd.3~ ブラッドリー・モータースポーツ #12 ダラーラ・インフィニティ)
  • 2003年
    • IRL(4レースのみ参戦、シリーズ26位)

全日本F3選手権

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
1993年 サンテック ラルト・RT36 無限・MF204 SUZ TSU FSW SUZ SEN AID
18
MIN SUG SUZ SUZ NC 0
1994年 PROJECT4 トムス・033F トヨタ・3S-G SUZ FSW TSU SUZ SEN TOK
9
MIN AID
Ret
SUG
Ret
SUZ NC 0

アメリカン・オープンホイール

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(太字はポールポジション、斜体 はファステストラップ)

インディ・ライツ

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チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
1996年 ドリコット・レーシング ローラ・T93/20 ビュイック MIA
9
LBH
DNS
NAZ
10
MCH
19
MIL
6
DET
13
POR
7
CLE
9
TOR
4
TRO
8
VAN
16
LS
14
13位 42
1997年 ルーカス・プレイス・モータースポーツ ローラ・T97/20 MIA LBH
9
NAZ
20
SAV
15
STL
23
MIL
16
DET
24
POR
23
TOR
26
TRO
14
VAN
12
LS
14
FON
18
25位 5
1998年 インディ・リージェンシー・レーシング MIA
1
LBH
11
NAZ
14
STL
1
MIL
21
DET
20
POR
18
CLE
21
TOR
16
MCH
20
TRO
16
VAN
13
LS
9
FON
9
14位 52
チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント Ref
1999年 ベッテンハウゼン レイナード・98i メルセデス・ベンツ-イルモア・IC108E MIA
DNS
MOT
20
LBH
26
NZR
WD
RIO STL
15
MIL
23
POR
28
CLE ROA TOR
23
MCH DET MDO CHI
17
VAN LS
WD
HOU SRF FON 36位 0 [9]

インディカー・シリーズ

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チーム シャーシ No. エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント Ref
2000年 Treadway Racing Gフォース 55 オールズモビル WDW PHX LVS INDY
DNP
TXS
8
PPI
17
ATL
9
KTY
8
TX2
7
22位 109 [10]
2001年 Vertex カニンガム・レーシング ダラーラ PHX
13
HMS
15
ATL
8
INDY
DNQ
TXS
10
PPI
DNS
RIR
14
KAN
8
NSH
7
KTY
7
STL
15
CHI
21
TX2
16
13位 215 [11]
2002年 Bradley Motorsports ダラーラ 12 シボレー HMS PHX
25
27位 78 [12]
インフィニティ FON
26
NZR
10
INDY
20
TXS
6
PPI
19
RIR KAN NSH MIS KTY STL CHI TX2
2003年 A.J.フォイトエンタープライゼス Gフォース 5 トヨタ HMS
18
MOT
20
26位 43 [13]
ダラーラ PHX
10
INDY
30
TXS PPI RIR KAN NSH MIS STL KTY NZR CHI FON TX2

インディ500

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シャーシ エンジン スタート フィニッシュ
2001年 ダラーラ オールズモビル DNQ
2002年 インフィニティV8 27 20
2003年 トヨタ 30 30

NASCAR

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Craftsman Truck Series

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チーム No. メイク 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 順位 Pts Ref
2004年 Germain/Arnold Racing 01 トヨタ DAY ATL MAR MFD CLT DOV TEX MEM MLW KAN KEN GTW MCH IRP NSH BRI RCH NHA LVS CAL TEX MAR PHO DAR HOM
DNQ
NA - [14]
2005年 9 DAY
34
CAL
30
ATL
27
MAR
DNQ
GTY
27
MFD
36
CLT
34
DOV TEX
35
MCH
27
MLW
DNQ
KAN KEN
24
MEM IRP NSH
35
BRI RCH NHA LVS MAR ATL TEX PHO HOM 35位 703 [15]

人物

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脚注

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  1. ^ オートスポーツ NO.818 2001年4/19号 66頁「2001年版 ニッポン・レーシングドライバー名鑑」より
  2. ^ オートスポーツ 1995年1/1号106頁「ジュニア・フォーミュラ'94」より
  3. ^ オートスポーツ 1995年2/15号112頁「ジュニア・フォーミュラ'94 F4/ワンメイクフォーミュラシリーズ総括」より
  4. ^ 米国最大の自動車レース開幕戦に「CarNo.01 Yokoso!Japan TOYOTA」出場
  5. ^ 服部茂章が日本人オーナー初のNASCAR制覇 AUTOSPORT-web 2012年4月27日
  6. ^ 「NASCARは本当に奥が深い」HRE代表・服部茂章インタビュー
  7. ^ Shigeaki Hattori makes history with NASCAR Truck Series titleMotorsports,com 2018年11月17日
  8. ^ オートスポーツ1994年8/1号によると、トムスで前年使用したマシンと調整済みのエンジンなどを含めたレンタルでR&D SPORTのメンテナンスによる参戦であった。
  9. ^ Shigeaki Hattori – 1999 CART Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. August 15, 2023閲覧。
  10. ^ Shigeaki Hattori – 2000 Indy Racing Northern Lights Series Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. August 6, 2023閲覧。
  11. ^ Shigeaki Hattori – 2001 Indy Racing Northern Lights Series Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. August 6, 2023閲覧。
  12. ^ Shigeaki Hattori – 2002 Indy Racing League Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. August 6, 2023閲覧。
  13. ^ Shigeaki Hattori – 2003 IndyCar Series Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. August 6, 2023閲覧。
  14. ^ Shigeaki Hattori – 2004 NASCAR Craftsman Truck Series Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. August 6, 2023閲覧。
  15. ^ Shigeaki Hattori – 2005 NASCAR Craftsman Truck Series Results”. Racing-Reference. NASCAR Digital Media, LLC. August 6, 2023閲覧。
  16. ^ オートスポーツ 1999年5/15号 4頁 インタビュー記事より

関連項目

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