服部直臣
大日本帝国陸軍軍人
服部 直臣(はっとり なおみ[1]、1889年(明治22年)8月22日[2] - 1947年(昭和22年)5月13日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
服部 直臣 | |
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生誕 |
1889年8月22日 日本 東京府 |
死没 | 1947年5月13日(57歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1910年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1889年(明治22年)に東京府で生まれた[2]。陸軍士官学校第22期卒業[2]。1936年(昭和11年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に第10師団司令部附となり[1]、旧制松江高等学校に配属された[1]。1938年(昭和13年)10月に歩兵第21連隊補充隊長に転じ[1]、1939年(昭和14年)8月に第8国境守備隊第2地区隊長に就任した[1]。
1941年(昭和16年)3月に陸軍少将に進級し[1]、1942年(昭和17年)8月1日に南方軍総司令部附を経て[2]、12月1日に歩兵第60旅団長(第1軍・第69師団)に就任[2]。臨汾に赴任し[2]、大行作戦、大岳作戦などを連戦[2]。その後運城に移り[2]、霊宝会戦に出動[2]。黄河を渡河し[2]、群集する敵軍を撃破するなど赫々たる戦果を収めた[2]。1944年(昭和19年)11月27日に独立歩兵第2旅団長(北支那方面軍)に転じ[2]、京漢鉄道などの守備に任じ[3]、井陘で終戦を迎えた[2][4]。
脚注
編集参考文献
編集- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。