智猛
智猛(ちもう、4世紀末 - 453年頃)は、中国五胡十六国時代の僧。京兆郡新豊県の人。求法のため中央アジアを経由してインドへと旅した。
智猛 | |
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? - 454年 | |
生地 | 京兆郡新豊県 |
没地 | 成都 |
寺院 | 定林寺 |
著作 | 『遊行外国伝』 |
略歴
編集生年は不明だが4世紀末とされている。幼少より僧侶となり後秦の弘始6年(404年)、同志の僧15人と常安を発つ。途中のパミール高原では、同行の僧のうち9人が引き返している。インドではカシミール、マガダ国、釈迦の出身地であるカピラヴァスツなどを訪れ、南インドも周遊している。424年にインドよりの帰途につき、433年頃に敦煌方面に帰着したことが史料より確認できる。
434年、北涼支配下の涼州張掖へと入り、『出泥洹本』20巻を訳出している。437年、南朝宋の成都に移り、さらに都の建康へと移る。元嘉16年(439年)7月7日、鍾山の定林寺で自伝(『遊行外国伝』)を造る。454年に成都で死去。