晋妃(しんひ、1780年代[1] - 1822年)は、乾隆上皇の側妃。姓はフチャ(富察)氏。満洲鑲黄旗の出身。父の名は徳克精額。乾隆帝の皇后である孝賢純皇后の従孫娘にあたる。

生涯

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嘉慶2年(1797年)、選を経て乾隆上皇の後宮に入り、晋貴人となった。その時、乾隆上皇は87歳で、中国歴代王朝では夫帝と最も年の離れた后妃と思われる。

嘉慶4年1月3日1799年2月7日)に乾隆上皇が崩御すると、寡婦になった。嘉慶25年8月27日1820年10月3日)、道光帝が即位すると、道光帝の祖父の唯一存命中の妻として晋妃に尊封された。嘉慶帝の未亡人たちと共に寿康宮に住んでいる。

道光2年(1822年)、薨去した。裕陵妃園寝に葬された。

脚注

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  1. ^ 清の后妃の選抜では、年齢は13歳から16歳までが最も好ましいとされた。