カンタータ『星の王』(ほしのおう、ロシア語: Звездоликийフランス語: Le Roi des étoiles)は、イーゴリ・ストラヴィンスキー合唱曲である。ロシア語の原題は『星の顔をした人』を意味し、コンスタンチン・バリモントの同名のに基づく。1911年から1912年にかけて作曲された。

巨大編成のオーケストラと6声の男声合唱のために作曲された、わずか54小節ほどの小品ではあるが、演奏上の困難からなかなか上演の機会に恵まれない(ただし、リッカルド・シャイーピエール・ブーレーズの指揮によって優れた演奏が録音されてはいる)。本作を献呈されたクロード・ドビュッシーは、1913年にストラヴィンスキー宛の私信において、この作品を絶賛して「類を見ない」と評したものの、曲の複雑さと短さゆえに、支持者を見出しうるかどうか早くも懸念を抱いていた[1]。事実、公開初演を迎えたのは、ようやく1939年になってからである。

成立の経緯

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ストラヴィンスキーは、《ペトルーシュカ》の成功によって名を揚げ、《春の祭典》の作曲に取り掛かっていた頃に、ドビュッシーの進歩的な和声法に限りなく近付いたこの小品を作曲した。ドビュッシーはこの作品を聞いたことはなかったが、曲全体をストラヴィンスキーから譜面で受け取っていた。ドビュッシーはこの主題について、次のような返礼を書き送っている。

 《星の王》の音楽は稀に見る作品として残るものです。たぶんこの作品は、プラトンが記した「久遠なる天体の音楽」なのかもしれません(何ページなのか私に訊かないように)。察するにシリウスアルデバランにおいてであれば、この「惑星のためのカンタータ」も奏することができましょうに! 我らがいとど慎ましき地球はといえば、あえて申し上げるなら、その上演は深淵に彷徨うこととなりましょう[1]

音楽語法や象徴主義的なテクストの選定からも明らかなように、ドビュッシーだけでなく、アレクサンドル・スクリャービンからの影響も濃厚な作品である。一方ストラヴィンスキーは、イエス・キリストの暗喩とされる『星の顔をした人』を、その意味内容のためでなく、言葉の響きゆえに選んだのだと語っている。

初演は1939年4月19日ブリュッセルにおいて、フランツ・アンドレ指揮ブリュッセル放送管弦楽団によって行われた。

楽曲

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オーケストラの使用は最低限に抑えられているが、ストラヴィンスキーの筆致では非常に珍しいトレモロスル・ポンティチェロ、8音の音塊などの響きの効果によって、オーケストラの存在感が強調されている。一方で合唱は、半ばレチタティーヴォ風で半ば朗詠風の、シラビックな様式が特徴的である。レント・アッサイ、演奏時間は約5分。

楽器編成

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合唱の伴奏として、非常に大規模な編成のオーケストラが効果的に利用されている。

参考書籍

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  1. ^ Boucourechliev, p. 70.

外部リンク

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