星の宮浅間塚古墳
星の宮浅間塚古墳(ほしのみやせんげんづかこふん)は、栃木県芳賀郡益子町塙にある古墳。形状は前方後方墳。栃木県指定史跡に指定されている(指定名称は「浅間塚古墳」)。
星の宮浅間塚古墳 | |
---|---|
墳丘(右に前方部、左奥に後方部) | |
所在地 | 栃木県芳賀郡益子町塙(字星の宮)(栃木県立益子芳星高等学校内) |
位置 | 北緯36度29分11.90秒 東経140度5分3.55秒 / 北緯36.4866389度 東経140.0843194度座標: 北緯36度29分11.90秒 東経140度5分3.55秒 / 北緯36.4866389度 東経140.0843194度 |
形状 | 前方後方墳 |
規模 | 墳丘長52m |
埋葬施設 | (推定)竪穴系施設 |
築造時期 | 4世紀中葉-後半 |
史跡 | 栃木県指定史跡「浅間塚古墳」 |
地図 |
概要
編集栃木県南東部、小貝川西岸の段丘東端に築造された古墳である。「浅間塚」の古墳名は、かつて墳丘上に浅間社が祀られたことに由来する。現在までに墳丘を良好に遺存する。
墳形は前方後方形で、前方部を東方向に向ける。墳丘外表で葺石・埴輪は認められていない[1]。墳丘周囲では北側・西側で周溝が認められる(南側・東側は自然地形の傾斜のため不明)[1]。埋葬施設は未調査のため明らかでないが[1]、竪穴系施設の存在が推測される[2]。副葬品は詳らかでない。
築造時期は、古墳時代前期の4世紀4世紀中葉-後半[2](または4世紀後半[3])頃と推定される。小貝川流域では本古墳含む4基の前方後方墳が知られるが、他の古墳と異なり本古墳では後方部と前方部の比高差が小さいため、その中でも年代は若干下ると推測される[1]。
遺跡歴
編集墳丘
編集- 墳丘長:約52メートル
- 後方部
- 長さ:約28メートル
- 幅:約28メートル
- 前方部
- 長さ:24メートル
- 幅:20メートル
-
後方部墳頂
-
前方部から後方部を望む
-
後方部から前方部を望む
文化財
編集栃木県指定文化財
編集- 史跡
- 浅間塚古墳 - 2016年(平成28年)3月4日指定[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 史跡説明板(栃木県立益子芳星高等学校設置)
- 「星の宮浅間塚古墳」『益子町史 第1巻 考古資料編』益子町、1987年。
- 「星の宮浅間塚古墳」『日本歴史地名大系 9 栃木県の地名』平凡社、1988年。ISBN 4582490093。
- 『探訪とちぎの古墳』随想舎、2000年。ISBN 4887480342。