昏沈
昏沈(惛沈、こんじん)とは、サンスクリット語のstyāna(スティヤーナ)に由来する仏教で説く煩悩の一つ。心の沈鬱[1]。心が巧みでないこと[1]。心身のものういこと[2]。ふさぎ込むこと[3]。心を沈鬱で不活発な状態にさせる心理作用、またその状態[3]。惛沈(こんじん)ともいう[3]。
仏教用語 Styāna, スティヤーナ | |
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サンスクリット語 | styāna |
チベット語 |
རྨུག་པ། (Wylie: rmug pa; THL: mukpa) |
日本語 | 昏沈 |
英語 |
lethargy gloominess foggymindedness |
説一切有部の五位七十五法のうち、大煩悩地法の一つ[2]。五位七十五法の大善地法の「軽安」の逆[1]。唯識派の五位百法のうち、心所法-随煩悩心所-大随煩悩の一つ[4]。
脚注
編集出典
編集参考文献
編集- 中村元他『岩波仏教辞典』岩波書店、1989年。ISBN 4-00-080072-8。
- 櫻部建、上山春平『存在の分析<アビダルマ>―仏教の思想〈2〉』角川書店〈角川ソフィア文庫〉、2006年。ISBN 4-04-198502-1。(初出:『仏教の思想』第2巻 角川書店、1969年)
- 櫻部建『倶舎論』大蔵出版、1981年。ISBN 978-4-8043-5441-5。
- 横山紘一『唯識思想入門』第三文明社、1976年。ISBN 978-4-4760-1066-4。