明石 緑郎(あかし ろくろう、1899年9月15日 - 1934年6月23日)は、日本の俳優である[1][2]。本名は田中 鶴雄(たなか つるお)[1][2]

あかし ろくろう
明石 緑郎
本名 田中 鶴雄(たなか つるお)
生年月日 (1899-09-15) 1899年9月15日
没年月日 (1934-06-23) 1934年6月23日(34歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市(現在の東京都
死没地 満洲国の旗 満洲国
職業 俳優
ジャンル 新派剣劇劇映画時代劇現代劇サイレント映画
活動期間 1917年 - 1934年
主な作品
江戸城総攻め
仇討日本晴 義の巻 伊賀の水月
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人物・来歴

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1899年(明治32年)9月15日東京府東京市(現在の東京都)に「田中鶴雄」として生まれる[1][2]

1917年(大正6年)、17歳のときに新派村田正雄門下となり、女形として舞台に上がる[1]。その後、大阪に移り、連鎖劇で知られる新派の山崎長之輔[3]の一座に参加する[1]。やがて伊川八郎の一座「国精劇」の幹部俳優となる[2]。1924年(大正13年)8月23日、山崎長之輔が死去[3]、1925年(大正14年)、師の村田正雄が死去している[4]

同年、帝国キネマ演芸芦屋撮影所に入社[1]、女形から剣戟俳優へに転身する。スクリーンデビューは同年10月1日公開の古海卓二監督の市川百々之助主演作『牛若丸』と、その併映作で明石が主演を張った長尾史録監督の『乱弾下の恋』である[2]。同年、松本英一監督の『竜巻く嵐』に主演し、市川百々之助に比肩しうる人気俳優となる[2]佐藤樹一路監督の『四谷怪談』(1927年)で民谷伊右衛門押本七之助監督の『天保水滸伝』(1931年)で平手造酒を演じ、風貌にマッチした虚無的な役柄を得意とし[2]、女形で培った優美な剣戟が人気の源泉であった[1][2]

1934年(昭和9年)6月23日満州巡業中に病気により死去した[1]。満34歳没[2]

フィルモグラフィ

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  1. ^ a b c d e f g h 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年、「明石緑郎」の項。
  2. ^ a b c d e f g h i 『無声映画俳優名鑑』、無声映画鑑賞会編、マツダ映画社監修、アーバン・コネクションズ、2005年、p.126。
  3. ^ a b 山崎長之輔、『講談社 日本人名大辞典』、講談社コトバンク、2009年11月9日閲覧。
  4. ^ 村田正雄、『美術人名辞典』、思文閣、コトバンク、2009年11月9日閲覧。

外部リンク

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