日隈広吉
日本の実業家、馬主
(日隈良江から転送)
日隈 広吉(ひのくま こうきち/ひろきち、1921年5月25日 - 1998年5月31日)は、日本の実業家、馬主。
日隈 広吉 | |
---|---|
生誕 |
1921年5月25日[1] 日本 山口県萩町[1] |
死没 | 1998年5月31日(77歳没)[1] |
出身校 | 萩商業高校[1] |
職業 | |
肩書き | 株式会社新橋 元代表取締役社長[1] |
名前の読みに関しては、出典1では「こうきち」とされているが、競馬のデータベースサイトでは「ひろきち」とされている[2][3]。
馬主活動
編集日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は黄、赤三本輪、赤袖、冠名には故郷の萩より[1]「ハギノ」を用いた。
当時のセリ市最高価格である1億8500万円でハギノカムイオーを落札した[4]人物として知られ、同馬を中村畜産代表の中村和夫と共同所有した[4]。
広吉の没後は、元から馬主であった娘の日隈良江、その妹の安岡美津子が所有馬を引き継いでいる[5]。
主な所有馬
編集八大競走・GI級競走優勝馬
編集- ハギノトップレディ(1980年桜花賞、京都牝馬特別、エリザベス女王杯、1981年高松宮杯)
- ハギノカムイオー(1982年スプリングステークス、神戸新聞杯、京都新聞杯、1983年スワンステークス、宝塚記念、高松宮杯)
重賞競走優勝馬
編集その他の所有馬
編集- ハギノオーカン(1979年UHB杯、11戦9勝)
- ハギノカオリ(1979年紅梅賞、4戦3勝2着1回)
- ハギノビジョウフ(1985年札幌3歳ステークス2着、阪神3歳ステークス3着)
- ハギノスイセイ(1992年京王杯オータムハンデキャップ2着)
日隈良江の所有馬
編集- 重賞競走優勝馬
- その他の所有馬
-
- ハギノベルテンポ(2005年灘ステークス)
- ハギノパトリオット(2017年新潟ジャンプステークス2着)
安岡美津子の所有馬
編集勝負服の柄は黄、赤三本輪、赤袖黄一本輪。
- ハギノスプレンダー(1999年アネモネステークス)
- ハギノジョイフル(2009年目黒記念3着)
- ハギノピリナ(2021年優駿牝馬3着)