日野西資忠
日野西 資忠(ひのにし すけただ、1900年(明治33年)12月9日[1] - 1970年(昭和45年)11月7日[1][2])は、大正から昭和期の宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。
経歴
編集侍従・日野西資博の長男として生まれ、父の死去に伴い、1942年(昭和17年)11月、家督を継承し、1943年(昭和18年)1月15日、子爵を襲爵した[1][3][4]。
学習院を経て[5]、1933年(昭和8年)[注 1]、明治大学専門部法科を卒業した[2][3]。
1926年(大正15年)殿掌に就任[2]。その後、大礼使典儀官、寿工業書記などを務めた[2][3]。
1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6]、研究会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 『人事興信録』第14版 下、ヒ4頁では昭和9年(1934年)。
出典
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 日野西資博 |
子爵 日野西家第3代 1943年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |