日比谷野外音楽堂
日比谷野外音楽堂(ひびややがいおんがくどう、Hibiya Open-Air Concert Hall)は、東京都千代田区の日比谷公園内にある都立の野外音楽堂[1]。大小二つの音楽堂があり、東京都立公園条例施行規則での正式名称はそれぞれ「日比谷公園大音楽堂」及び「日比谷公園小音楽堂」である[2]。1905年(明治38年)に日本初の野外公会堂として音楽堂が完成し[3]、その後1923年(大正12年)7月により大型の大音楽堂が完成したことで、先にできていた音楽堂は小音楽堂と呼ばれるようになった[4]。
日比谷野外音楽堂 Hibiya Open-Air Concert Hall | |
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大音楽堂(2019年) | |
情報 | |
通称 | 日比谷野音、野音[1] |
正式名称 | 日比谷公園大音楽堂[1] |
完成 | 1923年7月 |
収容人員 | 3,053[1]人 |
客席数 |
大音楽堂 椅子:2,653席、立見:385席、車椅子対応:15席 小音楽堂 1,075席 |
延床面積 | 718m² |
用途 | コンサート、集会 |
運営 |
東京都指定管理者 日比谷公会堂・大音楽堂管理事務所 |
所在地 |
〒100-0012 東京都千代田区日比谷公園1-5 |
位置 | 北緯35度40分20.5秒 東経139度45分14.5秒 / 北緯35.672361度 東経139.754028度座標: 北緯35度40分20.5秒 東経139度45分14.5秒 / 北緯35.672361度 東経139.754028度 |
アクセス | 地下鉄霞ケ関駅、内幸町駅、日比谷駅下車 |
外部リンク | 日比谷公会堂/日比谷野音 公式HP |
大音楽堂は「日比谷野音(やおん)」「野音」と略称・通称される[5][1]。ステージ以外に屋根がなく、楽屋が狭いなど施設として不利な面もあるが、開放的な空間で「音がどこまでも飛んでゆく[6]」という評価もあり、著名なミュージシャンのコンサートが多く開かれた。「音楽の聖地[1]」「ロックの聖地[6]」「フォークの殿堂[6]」と呼ばれる。老朽化に伴い建て替えが予定されている[7]。
大音楽堂
編集1923年(大正12年)に日本最初の大規模野外音楽堂として完成した。客席数は椅子2,653席、立見385席、車椅子対応15席[8]。
東京23区内に野外でライブを開けて、しかも観客が3500人以上入るような会場自体はあまりなく[9]、様々なアーティストのコンサートに使われるほか、毎年5月1日のメーデーや、市民団体の集会なども行われる。
日比谷公園内外への音響による影響を考慮し、音楽系イベントでの利用は土曜日、日曜日、休日に限定されている[10]。2021年度までは4月から10月まで限定していた。音出しに関しては土曜は15時以降、日曜や休日は12時以降という制限がある[10]。建て替えでは屋根を客席前方まで広げ、開放的な雰囲気は維持しつつ音漏れを減らす予定である[7]。
使うには、著名人であっても予定日の1年前に行なわれる抽選に参加することが必要で、公平に決められる[1]。
歴史
編集初代の大音楽堂は1923年(大正12年)7月に開設され[11][12]、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1943年(昭和18年)から一時休館する。戦後はGHQに接収されたが、接収解除後の1954年(昭和29年)8月に改築の上、2代目大音楽堂として再開した[11]。老朽化が進行して1982年(昭和57年)から全面改築工事を行い、1983年(昭和58年)8月に3代目大音楽堂として完成し、現在に至る[11]。
2006年(平成18年)4月1日から、日比谷公会堂とともに、東京都の指定管理者が管理している。
2023年(令和5年)4月~11月にかけて実施される「日比谷野外音楽堂開設100周年記念事業」のオープニングセレモニー「祝・日比谷野音100周年オープニングセレモニー」が同年4月15日に実行委員長を務める音楽プロデューサーの亀田誠治や実行委員の武部聡志、KREVA、東京都知事の小池百合子、警視庁音楽隊らが参加して行われた[13]。
2024年度以降は、施設の老朽化のため休館し、東京都建設局の「都立日比谷公園再生整備計画」の一環として建て替えられる計画である[5]。
主な公演
編集- 成毛滋の呼びかけによる10円コンサート[12]:1969年に入場料10円で開催され、本格的なロックイベントとしては日本初だった[6]。
- キャロルの解散コンサート炎上事件[11][12][9][14][15]:1975年。電飾が焼け落ちるハプニングが起きた[6]。
- キャンディーズの解散宣言[11][12][14]:1977年7月のライブ終盤で突然行なわれ、伊藤蘭の「普通の女の子に戻りたい」発言が流行語になった[6]。
- 尾崎豊のステージ飛び降り骨折事件[12][14]
- 岡林信康のライブ
- Johnny, Louis & Charが無料コンサートを行い、1万4千人を動員した。
- 1987年4月19日にLAUGHIN' NOSEのライブ中に、ステージへ詰め掛けたファンが将棋倒しとなり死傷者が出る事故が発生(ラフィンノーズ公演雑踏事故)。LAUGHIN' NOSEは責任からしばらく活動を停止したが、ファンの声援で再開した[6]。
- 1987年からSHOW-YAの提唱により、女性ミュージシャンのみによるフェス「NAONのYAON」も開催されている[12]。
- 2代目音楽堂の最終催事は萩原健一のコンサートだった。
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昭和初期の大音楽堂(中央)
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恩地孝四郎『日比谷音楽堂』(1930年)
小音楽堂
編集日本初の野外音楽堂として1905年(明治38年)に完成し、軍楽隊による演奏が行われた[3][4]。1923年(大正12年)9月の関東大震災で倒壊したが後日再築された[4]。1983年(昭和58年)に大音楽堂とともに建て替えられた[4](北緯35度40分26.2秒 東経139度45分25.2秒 / 北緯35.673944度 東経139.757000度)。
客席数は1,000[16]。最大の特徴は全ての催事が無料であることで、小音楽堂の利用条件は「一般に開放する無料コンサートのみ」となっている[16]。
出典
編集- ^ a b c d e f g [週刊エンタメ]日比谷野音100周年/来月 無料フェス「音楽祭」『読売新聞』朝刊2023年5月20日エンタメ面(同日閲覧)
- ^ “東京都立公園条例施行規則”. 東京都. 2023年3月13日閲覧。
- ^ a b “都立日比谷公園”. 公益財団法人 東京都公園協会. 2021年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月13日閲覧。
- ^ a b c d 山口智. “日比谷公園の成立ち”. 一般財団法人 民間都市開発推進機構. 2023年3月13日閲覧。
- ^ a b “日比谷野外音楽堂、老朽化のため2024年度以降に休館・建て替えへ「民間事業者のノウハウ等を活用」”. ORICON NEWS (オリコン). (2023年3月13日) 2023年3月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g 日比谷「野音」熱狂の100年 伝説数々生んだ殿堂 再整備へ『東京新聞』朝刊2023年3月5日1面(2023年6月12日閲覧)
- ^ a b 日比谷公園「野音」建て替えへ 客席前方まで屋根設置 NHK(2023年3月13日)2023年5月20日閲覧
- ^ “大音楽堂(野音):座席表” (PDF). 2022年5月5日閲覧。
- ^ a b “伝説の日比谷野音公演、岡林信康と矢沢永吉のライブアルバムを振り返る”. Rolling Stone Japan 編集部 (2020年7月19日). 2023年5月20日閲覧。
- ^ a b “日比谷公園大音楽堂(野音)の使用上の注意” (PDF). 日比谷公園大音楽堂. 2023年3月13日閲覧。
- ^ a b c d e 山内哲夫 (2013年1月21日). “日比谷野音が90周年、伝説のイベント再び 秋元康、南こうせつ、道重さゆみらが思い語る”. 東洋経済オンライン. 東洋経済新報社. p. 2. 2013年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。
- ^ a b c d e f ガモウ ユウイチ (2018年10月10日). “日比谷公園大音楽堂の伝説 いつの時代も"野音"は燃えていた......”. 東京エキマチVol.21. 交通新聞社. 2020年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。
- ^ “亀田誠治、武部聡志、KREVAもお祝い、日比谷野音100周年記念イベント開催”. BARKS. 2023年4月16日閲覧。
- ^ a b c 阿部公輔 (2022年7月5日). “ドサ回りで開いた扉 ロックスター矢沢永吉は日比谷野音で誕生した”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). オリジナルの2022年7月5日時点におけるアーカイブ。 2022年7月7日閲覧。
- ^ “放送内容 今夜の嵐にしやがれは…日本ロック界の帝王! ★矢沢永吉が降臨!…”. 嵐にしやがれ. 日本テレビ (2019年8月31日). 2021年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。内田裕也、よみがえった伝説の野音でトリ!日テレNEWS24(Internet Archive)
- ^ a b “日比谷公園 施設について”. 公益財団法人 東京都公園協会. 2023年3月13日閲覧。