日本放送作家協会
日本放送作家協会(にほんほうそうさっかきょうかい、略称:放作協、英: The Television and Radio Writers’Association of Japan〈TRWA〉[注 1])は、1959年(昭和34年)9月18日に設立された組織で、ラジオ・テレビなどの放送メディアで活動する作家同士の親睦と、放送文化の向上を目的とした文化団体である[1]。会員数は2022年8月現在でおよそ670人[1]。当初は放送作家の著作権の擁護や福利厚生も目的としていたが、それらの役割は1966年に設立された日本放送作家組合(現・日本脚本家連盟)に移された[1][注 2]。東京の協会本部の他に5つの支部(北海道、中部、関西、中国、九州)があり、ラジオ・テレビドラマの全国公募コンクールや各種セミナーなどを実施している[1]。
沿革
編集- 1959年(昭和34年)9月18日、任意団体として設立[1]。目的は“わが国における、ここ数年の電波文化、電波行政のめざましい発展に対して、ラジオ・テレビ作家の社会生活並びに職能、権益を擁護し、併せてその親睦をはかる”ことで、当初の会員は364名であった[1]。初代会長は久保田万太郎[3]。10月9日には内村直也が初代理事長に選任された[3]。
- 1960年(昭和35年)3月、関西支部設立[1]。9月、中部支部設立[1]。
- 1961年(昭和36年)1月、九州支部設立[1]。この年より日本放送作家協会賞が開始された[注 3]。10月23日、第2回臨時総会において社団法人設立代表者に内村直也が選出され、新理事長に大林清が就任する[3]。
- 1962年(昭和37年)4月、社団法人となる[1]。4月10日の時点で会員数は550名[3]。10月、北海道支部、中国支部設立[1]。
- 1966年(昭和41年)3月1日、協同組合日本放送作家組合(現・日本脚本家連盟)が設立され、著作権擁護および福利厚生業務が移管される[1]。
- 1972年(昭和47年)、第1回公募ラジオドラマ(平成18年の第35回より「創作ラジオドラマ大賞」に改名)が開催される。
- 1976年(昭和51年)、第1回テレビドラマ懸賞公募(平成18年の第31回より「創作テレビドラマ大賞」に改名)が開催される。
- 2000年(平成12年)、市川森一が理事長に就任する[5]。
- 2003年(平成15年)、市川森一の衆議院総務委員会における提言をきっかけに「日本脚本アーカイブズ特別委員会」が発足される[注 4]。
- 2010年(平成22年)6月、秋元康が理事長に就任する[6]。
- 2012年(平成24年)4月1日、一般社団法人となる[1]。6月、さらだたまこが理事長に就任する[7]。
- 2022年(令和4年)6月、内村宏幸が理事長に就任する[8]。
役員
編集2022年10月現在[1]
執行部
編集- 理事長:内村宏幸
- 副理事長:村上卓史
- 常務理事:石橋映里、井出真理、小林雄次
- 理事:荒井修子、いとう菜のは、入山さと子、香取俊介、鮫肌文殊、東海林桂、武田樹里、たむらようこ、羽田野直子、久松真一
- 監事:さらだたまこ、上滝徹也(外部:日本大学名誉教授)
支部長
編集入会規定
編集著作権を有する台本がすでに2作品以上番組で放送された放送作家、または放送文化向上に関わる著作物を2作品以上有する文筆業の人が対象で、また入会に際しては協会員2名の推薦と、所定の手続きが必要となる[9]。
各種賞
編集創作テレビドラマ大賞
編集日本放送作家協会とNHKとの共催による映像ドラマ脚本の公募賞。大賞作品はNHKにおいて制作・放送される。
創作ラジオドラマ大賞
編集日本放送作家協会とNHKとの共催によるラジオドラマ脚本の公募賞。大賞作品はNHKにおいて制作・放送される。
中部テレビ大賞
編集日本放送作家協会中部支部主催によるテレビ局・制作スタッフを対象とした賞。2019年に第23回が行われた。
北のシナリオ大賞
編集北海道ラジオの会主催の賞で、2004年(平成16年)に第1回、2013年(平成25年)に第10回が行われた。その後、主催が日本脚本家連盟北海道支部となり、2019年に第15回が行われた。日本放送作家協会北海道支部は協力という形。
南のシナリオ大賞
編集日本放送作家協会九州支部主催によるラジオドラマ脚本の公募賞。2007年に第1回が行われ、2019年に第13回が行われた。
各種賞(終了したもの)
編集日本放送作家協会賞
編集優秀なラジオ・テレビ番組や演出家、演技者などを表彰した賞で、1961年(昭和36年)の第1回から1974年(昭和49年)の第14回まで続いた。
久保田万太郎賞
編集初代会長であった久保田万太郎の死去を受け1964年(昭和39年)より開始された脚本賞で、原作のない単発ものが選考基準であった。
- 第1回(1964年)毛利恒之「十八年目の召集」、寺山修司「犬神の女」
- 第2回(1965年)茂木草介「兎おいし」「ニューヨークの日本人」「逃亡者」
- 第3回(1966年)該当なし
- 第4回(1967年)高橋玄洋「いのちある日を」、小野田勇「おはなはん」
- 第5回(1968年)阪田寛夫「花子の旅行」
- 第6回(1969年)該当なし
国際オーディオドラマコンクール森繁賞
編集日本放送作家協会主催の賞で、1991年の第1回から1994年の第4回まで開催された。
関西ディレクター大賞
編集藤本義一が関西支部長のときに関西支部で主催された賞で、関西地方で活躍するテレビ関係者を表彰した。1991年(平成3年)の第1回から2010年(平成22年)の第20回まで続いた。
書籍など
編集日本放送作家協会編
編集- 「放送作家 : 現代の放送ドラマ 第1」日本放送作家協会、1963、全国書誌番号:63008948
- 「放送児童文化論 : 児童番組の教育的研究」日本放送作家協会児童文化部会編、黎明書房、1964、全国書誌番号:64010191
- 「放送年鑑 : ラジオ・テレビのすべて 1965」日本放送作家協会、1965、全国書誌番号:65004460
- 「放送作家年鑑」1966-1990、全国書誌番号:67009937-全国書誌番号:00057154
- 「ライターズ」1巻1号〜2巻1号(1967.11〜1968.1)、全国書誌番号:00024030
- 「年刊テレビドラマ代表作選集 1974年版」日本放送作家組合との共編、現代出版、1974、全国書誌番号:75019441
- 「懸賞ラジオドラマ集」1974-1976、全国書誌番号:77030492
- 「懸賞放送ドラマ集」1976-1984、全国書誌番号:77030491-全国書誌番号:
- 「放送作家 : 華麗なる虚空に刻む」水曜社、1979.9、全国書誌番号:80021566
- 「放送作家入門 : ドラマ作法から生活白書まで」ライフサイエンスインフォメーション、1980.4、全国書誌番号:81003774
- 「放送作家情報 : 広報委員会レポート」1号(1982年11月)〜8号(1985年3月)[10]
- 「MEMORE メモア : 女性エディター&ライター教室実習誌」(1986年春 NO.1)〜(1988年秋 NO.6)[10]
- 「現代日本ラジオドラマ集成」沖積舎、1989.9、ISBN 4-8060-2753-7
- 「放送作家情報 2期」1号(1995年9月)〜8号(2001年10月)[10]
- 「放送作家情報 3期」1号(2002年9月)〜3号(2003年10月)[10]
- 「放送作家情報 4期」1号(2005年6月)、50周年特集号(2009年8月)、2010年9月[10]
- 「テレビ作家たちの50年」日本放送出版協会(NHK出版)、2009.8、ISBN 978-4-14-081387-4
北海道支部
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n “日本放送作家協会(にほんほうそうさっかきょうかい)とは”. 日本放送作家協会. 2022年10月14日閲覧。
- ^ “日本脚本家連盟、後進育成に注力 「好きならチャレンジを」”. 産経新聞 (2019年7月4日). 2022年10月14日閲覧。
- ^ a b c d 第2回日本放送作家協会賞パンフレット、13頁
- ^ “協会刊行物アーカイブ”. 日本放送協会. 2022年10月14日閲覧。
- ^ "市川森一". 講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」. コトバンクより2022年10月15日閲覧。
- ^ “放送作家情報 2010年9月20日号”. 日本放送作家協会 (2010年9月20日). 2022年10月15日閲覧。
- ^ “さらだたまこ”. アトリエうみ. 2022年10月15日閲覧。
- ^ 内村宏幸 [@uchimura_h] (2022年6月25日). "このたび、日本放送作家教会の理事長に就任しました。". X(旧Twitter)より2022年10月15日閲覧。
- ^ “入会規定”. 日本放送作家協会. 2022年10月14日閲覧。
- ^ a b c d e 協会刊行物アーカイブ. 2022年10月16日閲覧
関連項目
編集外部リンク
編集- 一般社団法人日本放送作家協会
- 日本放送作家協会 (@hosakkyo) - X(旧Twitter)
- 日本放送作家協会 (hosakkyo) - Facebook
- 日本放送作家協会 北海道支部
- 日本放送作家協会 中部支部
- 日本放送作家協会 九州支部