日本三大奇襲
日本三大奇襲(にほんさんだいきしゅう)とは、戦国時代の特に有名あるいは特異奇抜な以下の3つの合戦を指す[1]。日本三大夜戦とも称されてきたが、必ずしも夜戦に該当しないものも含まれる。「日本三大夜戦」は元来、江戸時代の歴史家・頼山陽が文政12年(1829年)に刊行した歴史書『日本外史』で日本の歴史上、特筆すべき三つの戦いを選んで命名したもので、以来、以下の3つの戦いを言うようになった。それぞれ少数対多数の戦であったり、奇抜な作戦などによったりと類を見ないものである。また敗北した側がその後、著しく弱体化または滅亡した。
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なお厳島の戦いの舞台となった宮島の観光協会では、厳島の戦いの代わりにおなじ瀬戸内が戦場となった鵯越の戦い(一ノ谷の戦い。寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日))を三大奇襲に挙げている[2]。