日下部定好
日下部 定好(くさかべ さだよし)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・旗本。
『長篠合戦図屏風』(成瀬家本)より日下部定好 | |
時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
生誕 | 天文11年(1542年) |
死没 | 元和2年8月30日(1616年10月10日) |
別名 | 通称:兵右衛門 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 織田信長→徳川家康→秀忠 |
氏族 | 日下部氏 |
父母 | 父:日下部定金 |
妻 | 正室:西村久吉娘 |
子 |
宗好、定勝、正冬、早川好勝、景久、 間宮某室、豊嶋忠次室 |
略歴
編集織田信長に仕えていたが、当時同僚だった豊臣秀吉(羽柴秀吉)と諍いをおこし出奔する。後に徳川家康に仕官し、成瀬正一と共に長篠の戦い、高天神城の戦いで活躍する。徳川家康が甲斐国を支配すると奉行に任ぜられる。関東討入後は武蔵国鉢形城の代官に任ぜられた。
関ヶ原の戦いでは徳川秀忠の旗奉行として従軍。そのまま伏見城留守居役に任ぜられ、元和2年(1616年)、その地で生涯を閉じている。
生涯を通して成瀬正一との連携は続いた。
脚注
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