施州(ししゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から初にかけて、現在の湖北省恩施市一帯に設置された。

概要

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574年建徳3年)、北周により施州が置かれた。

初には、施州は1郡2県を管轄した。605年大業元年)、施州は廃止され、管轄県は亭州に統合された。

618年武徳元年)、により清江郡清江県に施州が置かれた。742年天宝元年)、施州は清化郡と改称された。758年乾元元年)、清化郡は施州の称にもどされた。施州は江南西道に属し、清江・建始の2県を管轄した[1]

のとき、施州は夔州路に属し、清江・建始の2県と広積監を管轄した[2]

のとき、施州は夔州路に属し、建始県1県を管轄した[3]

1381年洪武14年)、明により施州は施州衛と改められた。

1728年雍正6年)、により施州衛は廃止され、恩施県と改められた。

脚注

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  1. ^ 旧唐書』地理志三
  2. ^ 宋史』地理志五
  3. ^ 元史』地理志三