新納忠光
新納 忠光(にいろ ただみつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武士。島津氏の家臣。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 慶長8年8月25日(1603年9月30日) |
別名 | 通称:次郎四郎、次郎兵衛尉 |
戒名 | 英伝宗傑居士 |
主君 | 島津義久→義弘 |
氏族 | 新納氏 |
父母 | 父:新納忠堯、母:上原尚常娘 |
妻 | 肝付兼盛娘 |
子 |
新納忠清室、桂忠能室 養子:忠清(新納忠増嫡男) |
略歴
編集新納忠堯の嫡子として誕生。
父・忠堯は忠光の元服前である天正11年(1583年)に肥前国龍造寺氏に与する深江城を攻めた際に討ち死にした。天正14年(1586年)8月22日、忠光は肥後国八代にて島津義久の加冠により元服すると、腰物並びに父と同じ次郎四郎の名を賜った。
天正15年(1587年)に島津氏が豊臣秀吉に降伏すると、忠光は天正18年(1590年)に祖父・新納忠元よりの人質として上洛し伏見に住んだが、忠元の弟・忠佐が代わりとなったため帰国した。
出典
編集- 『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)