新田宿
江戸時代の下野国にあった日光街道の宿場
新田宿(しんでんしゅく、しんでんじゅく)は、江戸時代に日光街道(日光道中)に設けられた下野国の宿場。日光街道の江戸・日本橋から数えて13番目の宿場である。現在は栃木県小山市羽川に相当する。
概要
編集宿駅としての起源はよく分かっていない。別称は芋柄新田(いもがらしんでん)、大町新田(おおまちしんでん)。現在は栃木県小山市羽川に相当する。 宿駅の管理は、当初は小山藩、元和5年(1619年)以降は宇都宮藩、元和8年1622年以降は古河藩、貞享2年(1685年)以降は幕府が担った。
天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、本陣は1軒、脇本陣は1軒設けられ、旅籠が11軒(大2、中4、小5)あった。宿内の家数は59軒、人口は244人であった[1][2][3]。
現在の国道4号線沿いに展開し、南端は小山羽川郵便局付近、北端は銅市金属工業付近である。
交通
編集隣の宿場
- 日光街道、奥州街道
脚注
編集参考文献
編集- 小山市史編さん委員会 編 『小山市史 通史編II 近世』 小山市、1986年
- 日光街道ルネッサンス21推進委員会 編『栃木の日光街道』下野新聞社、平成15年(2003年)